犬に生まれ変わって吠えてやるからな!という捨て台詞を残して処刑されたのは誰だっけ(@_@;)
実在の人物ではなく小説か漫画かなぁ(@_@;) 昨日ぶつけた頭はまだ痛むし、記憶喪失か(゚ロ゚;)

【読んだ本】

浅見和彦(校注・訳)『新編日本古典文学全集51 十訓抄』(小学館,1997)所蔵本

横関英一の『江戸の坂 東京の坂』(中公文庫,1981)と『続江戸の坂 東京の坂』(中公文庫,1982)
は今や古典的地位を占めている著作のようだけど、後者の「13 阿衡坂と保科肥後守」という一篇で
〈港区南麻布三丁目の「アカウサカ」は、保科肥後守の下屋敷わきの坂なので、その名を、阿衡坂と
呼んだのであろう。〉と結論付けている点は、首肯しかねる(@_@;) 幼い四代将軍家綱を支えた名君
保科正之をウダダと藤原基経の間で起きた阿衡事件(阿衡の紛議)で権限の無いお飾りの職と問題視
された「阿衡」と呼ぶことがあるのかね(@_@;) 基経の任を「阿衡」と表現した勅答を作った橘広相
が処罰されかかった歴史も考えれば、保科正之を「阿衡」と呼ぶなんてありえないことかと(@_@;)
橘広相が「阿衡」という言葉を使ったのは朕(ウダダ)が本意に背くとまで宣命に書かれてしまい、
『十訓抄』は次のように描く(^_^;)

    ・・・広相は、このことを非常に不快なことと思って、「死んだ後、犬となって、
    [基経に「阿衡」は権限が無いお飾りだと吹き込んだ藤原]佐世を嚙み殺してやる」
    と言って、死んでいったという。/さて、その頃、佐世の家の辺をはじめとして、
    大路に赤犬が数多く走り回り、「阿衡、阿衡」と吠えたて、人に嚙みついたのだった。
    そのため、人々は恐れまどい、「阿衡喰い」と呼んでいた。佐世の身にとっても、
    良いことは決してなかったことであろう。・・・
    
その後、人々は藤原佐世の家の近くの「大路」を「阿衡大路」と呼ぶようになっ・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;