書庫でバックナンバー調べたら春画特集が次々見つかり、エロオヤジ向け雑誌かよ・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
日本シリーズのTV中継で時々ヤクルトのCMも流れるということはヤクルト寄りの中継なのかな(^_^;)

【昨日買った本&読んだ本】

芸術新潮2022年11月号

楽天ブックスに新品1500円を1100p使って400円で予約してたのが昨日の発売日に届いた(^_^;) 特集は
「養老孟司の目」で、第2特集は「新出!歌麿の大作〝春画〟軸」(文 樋口一貴)(^_^;)

    紀行 佐渡で地球の呼吸を感じる

     1日目 森 ふしぎな森の中へ
     2日目 滝と岩 養老先生、「養老の滝」へ行く
     3日目 虫 たらい舟と、虫谷[むしや]の入江

    養老対談 1 ヨシタケシンスケ(絵本作家)幸せになろうなんて思わなくて、いいのです。

    略年譜 養老記

    先生のつぶやきアンソロジー

    こんな人たちと共著を出してきました(本当はまだまだいます)

    養老対談 2 山下裕二(美術史家)若冲・応挙から〝超絶技巧〟まで、昆虫ニホン美術史

    養老孟司解剖之図(構成・文 足立真穂 イラストレーション 伊野孝行)

    足立真穂「怒らない人の怒りのツボ」

    三つの死の風景(談 養老孟司)

     三人称の死――お墓と虫塚
     二人称の死――個別の関係性
     一人称の死――恐れてもしょうがない

    養老対談 3 坂口恭平(建物を建てない建築家・作家・音楽家・画家・
               「いのちの電話」相談員など)意識の芽生え、意識のゆくえ

目が留まった他の記事は「沢田研二のとてつもない衣装をつくった男 早川タケジ インタビュー」、
「パリ・オペラ座に魅せられた画家たち」(「パリ・オペラ座 響き合う芸術の殿堂」展@東京・
アーティゾン美術館)、「俊英・亀井ブラザーズと明治洋画ネットワーク」(「記録する眼 豊穣の
時代 明治の画家 亀井至一、竹二郎兄弟をめぐる人々」展@福島・郡山市立美術館)といったとこ、
連載記事では、三浦篤「大人のための印象派講座⑮ 「ユダヤ」問題は印象派に何をもたらすのか」、
中野京子「名画に見る悪の系譜⑥ 旅のリスク」、立川輪太郎「ジャニー喜多川が創ったもの⑥
たのきんと日本的アイドル」、「山下裕二の新・今月の隠し球⑪ 光宗薫 脳みそも内臓も吐き出して、
絵にする(上)」_φ( ̄^ ̄ )メモメモ ちなみに、光宗薫は元AKB48で、名前だけは知ってた(^_^;)

    /美術館の誕生以来、我々の美術鑑賞形態は大きく変わってきた。それまで限られた
    人の眼にしか触れることのなかった美が公に共有されるようになった文化的意義は
    はかりしれないが、その一方で作品がオリジナルの状態から移動されたことにより、
    作家が想定していた作品の鑑賞形態とは異なる場に置かれて情報の欠落が生じること
    も否めない。小稿では、このたび新たに見いだされた絹本着色の肉筆浮世絵春画、
    喜多川歌麿(?~1806)筆《階下の秘戯》を紹介し、どこで誰に鑑賞されたのかという
    点について推測してみたい。/・・・

第2特集「新出!歌麿の大作〝春画〟軸」の樋口一貴「その絵はどこで見られるのか」の冒頭(^^)
「春画といえば、冊子や巻物の形で手にとって、ひとり秘かに愉しむもの」(本特集リード)(^_^;)
「しかし、掛軸は垂直状態にある絵画を仰ぎ見る。複数人で同時に鑑賞することが可能な形態なので
ある。[春画の一般的な形態である]版本、一枚摺り、画帖、巻子のように水平状態の画面を見おろ
すのとは鑑賞空間が根本的に異なるのだ。」という樋口一貴の指摘にはナルホドで面白い問題だし、
樋口一貴の「推測」には痴的ならぬ知的興奮を覚えたな(^_^;) なお、樋口一貴の上記の冒頭部分から
連想したのは、芸術新潮の2021年7月号の特集「1400年遠忌記念大特集 聖徳太子 日本一有名な
皇子のものがたり」での三田覚之(1982年生まれ←ポイントね!)による解説を読んだ時と同様に
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-25 )、町田甲一『大和古寺巡歴』
(講談社学術文庫,1989)で、その記述の一部を再引用するv( ̄∇ ̄)ニヤッ

    ・・・/かつて識者の間で、古美術、ことに古い仏像の観照の仕方について
    論議されたことがあった。一方の、主として保守的な人たちの考えでは、
    仏像というものは、拝むべきものであって、一般の美術品とは異なり、
    単に鑑賞ないし翫賞すべきものではない、ということで、したがって仏像は
    博物館や美術館のようなところで見るべきものではなく、たとえ採光条件や
    その他の条件が悪くても、本来その像が安置されてあるべき場所、つまり
    暗くても御堂の中で拝すべきであるというのである。美術史家の中でも、
    たとえば最近亡くなった矢代幸雄という人などは、そういうことを主張
    している。/・・・

・與那覇潤『平成史 昨日の世界のすべて』(文藝春秋,2021)による『バカの壁』の歴史的評価と、
 エッチ後に相手が「歩き回」ったら1996年のベストセラー『××××』の読者・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-02-09