花輪クン、面堂終太郎、白鳥麗子らが住んでいるお屋敷の広さがビンボーだから想像できぬ(@_@;)

【読んだ本】

末次由紀『ちはやふる』(講談社BE LOVE,2022)49巻

本書116頁(と思うが、本巻はノンブルの記載が8、14、16、32、73、140、142、146だけ)に出てくる
若宮詩暢の脳内モノローグの一部を引く(@_@;)

    「たま」の 式子内親王はん ちゅうたら

    襖に並ぶ 「みせ」の 殷富門院大輔はんか

宇都宮頼綱の別荘=「嵯峨中院」の「障子」に貼る「色紙形」は藤原定家が歌を書いたものと、その
日記『明月記』に出ており、「障子[さうじ]」とは萩谷朴『枕草子解環 一』(同朋舎出版,1981)
によると布張りまたは紙張りの襖障子の他に板障子もあるようだけど、石田穣二&清水好子(校注)
『新潮日本古典集成 源氏物語 一』(新潮社,1976)や清水好子&森一郎&山本利達『源氏物語手鏡』
(新潮選書,1975)その他は「障子」=襖障子としてて、とりあえず本書の如く「襖」とする(@_@;)

「襖」に式子内親王の歌「玉の緒よ」と殷富門院大輔の歌「見せばやな」が並んで書かれてるという
本書なんだけど、この「襖」1枚に歌は2首というのがチト気になる(@_@;) 手元にある『百人一首』
の各注釈書をざっと見た限りでは、「襖」1枚に2首の歌が書かれていたと明記しているのは安東次男
『百人一首』(新潮文庫,1976)だけ(@_@;)『百人一首』との関係が議論され、歌の配列が異なり、
歌人・歌も一部異なる『百人秀歌』には「二首一対の妙味」があるとし(←『百人秀歌』は101首ゆえ
1首余るはずだけど)、 安東次男は『百人秀歌』の配列に着目して『百人一首』を解釈する(@_@;)
その同書で安東次男は書いている(@_@;)

    ・・・中院山荘の障子色紙形は、二首一組とされたはずで、・・・

2首ずつなら「襖」は50枚、両面で4首でも「襖」は25枚で、小生には想像できない広さを持つ別荘に
なるが、幕府から謀反の疑いをかけられ出家・隠遁した宇都宮頼綱の財力的にありなのかね(@_@;)