桜はわざわざ咲いてくれたけど、松虫はお別れの音色を聴かせてくれたのかな(´;ω;`)ウッ…
エサを貰いに来る時は啼いてスリスリしてくるけど、普段は遭っても愛想が悪い地域猫(@_@;)

【読んだ本】

平川祐弘『小泉八雲 西洋脱出の夢』(新潮社,1981)所蔵本

    ・・・/明治三十七年の秋も小泉家では松虫を飼っていた。九月も末近くなり松虫は
    少し声を枯らした。ハーンは節子に向って言った。/「あの小さい虫、よき音して、
    鳴いてくれました。私なんぼ喜びました。しかし、だんだん寒くなつて来ました。
    知つてゐますか、知つてゐませんか、すぐに死なねばならぬといふことを。気の毒
    ですね、可哀相な虫」/夫婦は縁側で、/「この頃の温い日に、草むらの中にそつと
    放してやりませう」/と約束した。/ハーンはその数日後、九月二十六日、狭心症で
    亡くなった。五十四年三ヵ月の命であった。/

本書の「第六章 草ひばりの歌」の〆の部分を引いた(;_;) これに対して、森銑三『偉人暦(下)』
(中公文庫,1996)の「九月二十六日 小泉八雲」には次の件が(;_;)

    ・・・/怪談を好んだヘルンは、淋しい墓地や、蛙、蝶、蟻、蜘蛛などの虫や、
    植物では杉や芭蕉が好きだった。秋の末に、もう黄ばみかけた葉の端に、朝顔が
    わずかに一輪心細げに咲いているのを見ると、ヘルンは、花に、「おお、あなた」
    と呼びかけて、「美しい勇気と、いかに正直の心」などと褒めるのだった。もう
    花も咲かなくなったからと、夫人のお母さんが抜き取って捨てられたら、翌朝
    ヘルンは大層失望して、「祖母[ばば]さんよき人です。しかしあの朝顔に
    気の毒しましたね」といった。/明治三十七年の九月二十六日、ヘルンは病んで
    寝つくということなしに逝いた。歳は五十五であった。ちょうどその二三日前、
    書斎の前の桜が返り咲をした。ヘルンは縁の端に出て、「ハロー」などといって
    眺めた。そして直ぐに凋落せねばならぬ花を哀れんだ。花は二十七日の夕方に、
    はらはらと淋しく散ってしまった。年々ヘルンに愛されていた桜だから、暇乞い
    のために咲いたのだろうなどと云った。/・・・

真夜中にベルを鳴らして、お別れの時が来たのを皆に教えた「大きな古時計」を連想(´;ω;`)ウッ…
「咲け」「散るな」、中には「今年ばかりは墨染めに咲け」まで、花に呼び掛けた和歌は多いけど、
ちゃんと日頃から優しく声を掛けて愛でてれば、花も応えてくれるのかもしれないニャア(〃'∇'〃)