「結果論ですが・・・」とドヤ顔で語るより、結果判明前に結果を予測してほしいC= (-。- ) フゥー

【読んだ本】

秦郁彦『昭和史を縦走する』(グラフ社,1984)所蔵本

    ・・・/歴史家にとって最も困難な作業は、過去の劇的瞬間にぶつかった人々の実感を
    復元し、追体験することだろう。/史実の経過を忠実に追い、埋もれた秘話を発掘し、
    過不足のないウエイトで組み合わせつつ叙述する作業は、これに比べるとまだ楽である。
    /欧米の歴史家はよく「後知慧[あとぢえ]」(hindsight)という表現を使う。
    当事者ですら、後から勉強した知識が知らず知らずに混入して、実相とへだたった
    「体験」を語るようになる危険を戒めたものだ。/・・・

秦郁彦も「終戦史の当事者から折に触れヒアリングをつづけてきた」歴史家ゆえ、その言は重い(^^)
御厨貴『オーラル・ヒストリー 現代史のための口述記録』(中公新書,2002)も刑事事件の供述調書
を対象に心理学的分析を行なって、その問題点も指摘している原聡の研究を紹介している(^^)

    ・・・/さらに「記憶」の質の問題がある。事件を起こしたということから考えて、
    事件の記憶は鮮明に残っているはずという先入観があるが、決してそうではない。
    人間の記憶はビデオテープとは異なるのだ。たとえば非常に衝撃的な事件──原が
    あげている例はケネディ暗殺──についての記憶は、その場で強烈に焼き付いている
    ようだから、十年経っても二十年経っても変わらずに証言されるかというと、決して
    そうではない。事後情報が加わることによって記憶の内容がどんどん変わってしまい、
    最終的には自分がみてもいない情景をあたかもみたかのように語る。人間の記憶が
    ビデオテープと同じならばありえない歪み、想像、誤りが入りこんでしまうわけだ。
    /・・・

本人は信じ込んでるから厄介(@_@;) 「お届け日数」では今日の午後なのに簡易書留が来ない(-"-)

・「解釈に史料を合わせるのではなく、史料に解釈を合わせるべきで、自説に都合の悪い史料が・・・」

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-04-23