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220427読んだ本

凄い学識と尊敬してた教師が実は虎の巻に書いてある通りに授業してただけと判った時のよう(-ω-、)

【読んだ本】

今井源衛『大和物語評釈 上巻 笠間注釈叢刊27』(笠間書院,1999)所蔵本

・照れ隠しっぽく「馬が連れて来たんだよ」と平兼盛、嬉しいくせにスネてみせる兵衛の君(〃'∇'〃)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-02-18

・平兼盛は「老境にある男」、兵衛の君は「老女」、そして、ついに馬まで「老馬」に((;゚Д゚)ヒィィィ!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-03-29

上記の如く『大和物語』で好きなのは第56段で、平兼盛が長いこと関係が絶えていた女性のところを
久しぶりに訪ねた際に詠んだ歌を本書から訳も一緒に引く(〃'∇'〃)

    夕されば 道も見えねど 古里は もと来し駒に まかせてぞゆく

     夕方になって、道も暗くて見えないが、昔なじみの家だから、
     通いなれた馬の歩みにまかせてやって来ましたよ。

「駒にまかせて」は『蒙求』『韓非子』の管仲の故事が典拠として挙げられていることは紹介済も、
本書は白居易(白楽天)の「長恨歌」が典拠だった可能性も指摘している( ̄◇ ̄;)

    『韓非子』説林篇に「・・・」とあり、『蒙求』にも「・・・」とある。
    『奥儀抄』以来、季吟その他諸注すべてこれらを典拠として引くが、
    白楽天の「長恨歌」に「東ノカタ都門ヲ望ミテ、馬ニ信[まか]セテ帰ル」
    とあるのも、[『韓非子』や『蒙求』の]「馬ニ随ヒテ」よりも、
    文字が一致している上に、「長恨歌」が『韓非子』よりも遙かに
    人々に親しまれた作品だけに無視できない。

工藤重矩や久保田淳&平田喜信は中国古典にも詳しいんだと感心したのに、凄いのは藤原清輔(^_^;)
とまれ、たしかに、白詩の圧倒的絶対的影響力に加えて「文字が一致」となれば、ナルホドと(゚o゚;)

でも、気になる点もあるキタ━━━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━━━!!! キタヨキタヨヽ(゚∀゚=゚∀゚)ノキチャッタヨ-!!!

第一に、白居易の「長恨歌」、状況も〈馬に信せて〉の含意も、平兼盛の歌とは異なるかと(@_@;)

「長恨歌」は長いので、一部だけ松浦友久『中国詩選 三 唐詩』(現代教養文庫,1972)から引く(^^)

    ・・・
    馬嵬[ばかい]の坡下[はか] 泥土の中[うち]
    玉顔を見ず 空しく死せし処[ところ]
    君臣相い顧[かえ]りみて尽[ことごと]く衣を霑[うるお]し
    東のかた都門を望み馬に信[まか]せて帰る
    ・・・

     ・・・
     ああ、ここ馬嵬駅の坡[さか]のもと、泥土のうちにこそ、
     かの貴妃の玉顔は見られず、むなしく死んでいった場所のみがのこるのだ。/
     天子も臣下も、たがいに顧みて涙に衣服をぬらすばかり。
     東のかた長安の都門を望みつつ、馬の進むにまかせて、力なく帰っていく。/
     ・・・
 
「安史の乱」で長安を脱出した玄宗が近衛兵からの要求で楊貴妃を殺す羽目になったのがこの馬嵬、
その馬嵬を成都から長安へ戻る際に通った時の玄宗らを描いた場面で、平兼盛が久しぶりに女のもと
をウキウキ訪ねたのとは状況が全く異なる(@_@;) 平兼盛の馬はかつて何度も訪ねた経験から女の家
までの道も憶えていたとするが、玄宗の馬が馬嵬から長安への道を知ってたとは考えにくい(@_@;)

ただ、母親の喪に服しているのに白居易が女を連れ込もうとしたかの如く解した藤原定家らのような
作意無視のレトリック摘み食い(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-04-03
が多々あるようだから、「長恨歌」のシーンとの違いは、さして問題にはならないのかもね(^_^;)

第二に、〈馬に信せて〉は白居易の作品に頻出するので、「長恨歌」に限る必要は無いかと(@_@;)

岡村繁『新釈漢文大系99 白氏文集 三』(明治書院,1988)を披いても(訳注稿は竹村則行が担当)、
同書33~34頁の「城東閑遊(城東閑遊)」(0621)は、「長安の東郊にのんびり遊んだことを述べた
詩である。」(同書33頁)と解題され、「・・・獨り秋景を尋ねて城東に去り、白鹿原頭 馬に信せて
行く。(・・・私は独り、秋の絶景を尋ねて長安の東郊に行き、白鹿原のあたりを馬の歩みのままに
のんびりと歩む。)」(同書34頁)、同書52~53頁の「醉中歸盩厔(醉中 盩厔に歸る)」(0643)も、
「酔って長安から盩厔県に帰ったことを述べた詩である。」(同書52頁)と解題され、「金光門外 昆
明の路、半ば醉ひ 騰騰として 馬に信せて廻[かへ]る。・・・(長安の金光門外、昆明池に通じる
路を、ほろよい加減でウトウトと馬の歩みにまかせて帰って来た。・・・)」(同書52~53頁)、同書
409~410頁の「寒食江畔(寒食江畔)」(0965)も、「寒食の日に江辺を散歩して思いを述べた詩で
ある。寒食は冬至後百五日目をいう。陽暦では四月上旬。火食を禁ずる。明ければ清明節である。」
(同書409頁)と解題され、「・・・鶯を聞いて 樹下に沈吟して立ち、馬に信せて 江頭 取次に行く。
・・・(・・・樹下に鶯の声を聞いて思いに沈んで立ちつくし、馬の歩みにまかせて江辺を勝手きまま
にめぐり行く。・・・)」(同書409~410頁)といった具合(⌒~⌒) 「漢詩を楽しもう tiandaoの
自由訳漢詩」というブログが、「醉中歸盩厔(醉中 盩厔に歸る)」について次のように解説していた
(⇒ https://blog.goo.ne.jp/tiandaoxy/e/290cb0a5005e0fe325759d405cecf670 )(^^)

    白居易は気晴らしのため、ときおり騎馬で長安に出かけることもありました。
    長安には友人の楊虞卿(ようぐけい)や楊汝士(ようじょし)がいて、会話を
    楽しんで帰るのです。楊氏の二人は従兄弟で、白居易は一年後に楊汝士の妹と
    結婚することになりますので、楽しい訪問であったと思います。/帰りは酒に
    酔って馬に揺られて帰るのですが、馬は間違いなく帰ってくれます。・・・

この作品の方が平兼盛の歌の典拠に相応しいのではないかと(^_^;) とまれ、平兼盛が『白氏文集』に
親しんでいれば「駒にまかせて」という表現を自然と思い付くわけで、その典拠を「長恨歌」に限る
必要は無いかとv( ̄∇ ̄)ニヤッ ただ、岡村繁『新釈漢文大系117 白氏文集 二下』(明治書院,2007)で
「長恨歌」(0596)を見ると、「信」の語釈(「訳注稿」は柳川順子が担当)に「任せる。俗語。」
(同書823頁)とあるので、「俗語」ならそもそも白居易に限る必要も無いのかもしれないけど(^_^;)
タグ:中国 古典 和歌
コメント(2) 
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コメント 2

tai-yama

私は鉄馬で女性の所へ行くことがないので、馬まかせでも
辿り着くことはできないと・・・・(泣)。
by tai-yama (2022-04-27 23:17) 

middrinn

四輪で通われてて、カーナビが記憶してて、女のもとに行こうとすると、
tai-yama様、カーナビが「その女は脈がありませ・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
by middrinn (2022-04-28 05:34) 

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