4月から使い道が無くなったし、もうTポイントとはサヨナラかな〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
【読んだ本】
深沢眞二&深沢了子編『芭蕉・蕪村 春夏秋冬を詠む 秋冬編』(三弥井古典文庫,2016)所蔵本
外国人が知ったかぶりして「すべての月が愛されたことが日本文化の大きな特徴」などとテキトーな
ことを朝日新聞に書いてたので、『竹取物語』には「月の顔見るは忌むこと(月の顔を見るのは不吉
なことですよ)」とあるぞ!と知ったかぶりして指摘し、上坂信男(全訳注)『竹取物語』(講談社
学術文庫,1978)の「月の光を身に受けると不幸なことが起るとの俗信があったらしい。『後撰集』
恋二や『源氏物語』宿木巻にも見え、月光に当るのもよくないと『更級日記』にある。」という件に
対しても、〈説明は変だし、「月光に当るのもよくないと『更級日記』にある」というが、見つから
ない(@_@;)〉と書いたけど(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-10-03 )、
知ったかぶりしたぐらいなので、『更級日記』を調べて見付けられなかったのも泥縄だったからで、
「啓蒙的かつ前衛的な好著」(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-01-04 )と
読了時にメチャ高評した本書に次の記述があることを見落としてた、てゆーか、読んだばかりなのに
早くも忘れてしまってたようだ(^_^;)
・・・また、日本の土俗的信仰として月を見るのを忌む風習もあった。『竹取物語』
で、かぐや姫が月を見て物思いにふけっていた折に「月の顔を見るは、忌むこと」と
制せられるのを始め、『源氏物語』や『更級日記』などにも、月は忌むべきものと
する考え方が見出される。/・・・
改めて『更級日記』を調べて、ソレらしき件を見付けたので、関根慶子(訳注)『更級日記(上)』
(講談社学術文庫,1977)の現代語訳で引く(^_^;)
・・・母などはみな[姉が]なくなった部屋の方にいるので、姉の形見に残った
幼い子たちを、私の左と右に寝かせていると、荒れた板屋のすき間から月がもれて
来て、赤子の顔にあたっているのがたいそう不吉に思われるので、袖をその子の顔
にかぶせて、もう一人の子も近よせていろいろと思うにつけ、とても悲しい。/
・・・
「ゆゆしく」(不吉に)の語釈で、関根慶子は次のように記しているよ〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
・・・なお、ここでは月光に妙に青白く見える子の寝顔に、姉の死の折から何か
ぞっとするものを感じたのであろう。古くから、月を見ることを忌むという事が
あって、『竹取物語』にも「ある人の、月の顔見るは忌むこと、と制しけれども」
とあるのをはじめ、『源氏物語』などにも同様のことが見られるが、ここでは
そうしたことは関係なく、月光が、ちごの顔に青白くさすので、思わず(反射的に)
ぞっとしたのであろう。/
池田利夫(訳注)『現代語訳対照 更級日記』(旺文社文庫,1978)の脚注も次の通りである(⌒~⌒)
/色の白い乳児の顔に、青白い月光のあたるのを見て、死人のように見えて
不吉だと感じたのであろうか。/
秋山虔(校注)『新潮日本古典集成 更級日記』(新潮社,1980)の頭注も特にナシオン主権(⌒~⌒)
今夜は月が出てるので傘をさして女を訪ねたといった歌でもない限り、知ったかぶりの付会(⌒~⌒)
・「兄頼朝」ではなく藤原泰衡に「攻められて命を落とし」たんだよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-07-23
・ピーター・マクミランは芭蕉「若葉して御めの雫ぬぐはばや」(『笈の小文』)で変な解釈(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-05-14
[追記220504]
・吉岡曠(校注)『更級日記』(長谷川政春&今西祐一郎&伊籐博&吉岡曠[校注]『新日本古典
文学体系24 土佐日記 蜻蛉日記 紫式部日記 更級日記』[岩波書店,1989]所収)は、問題の件に
付した同書391頁の脚注19で〈「月の顔見るは忌むこと」(竹取物語)と同種の考え方がこの時代
の作品に散見する。〉とするが、余事記載か、同件も「同種の考え方」の意なのか、不明(@_@;)
・「月夜のころ、月の光を浴びながら語り合うなど不吉なこと」と訳す『蜻蛉日記』注釈書も(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-04-30
・菅原孝標女が愛読してた『源氏物語』の「須磨」で光源氏が月光を浴びたり月の顔を見てる(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-05-04
【読んだ本】
深沢眞二&深沢了子編『芭蕉・蕪村 春夏秋冬を詠む 秋冬編』(三弥井古典文庫,2016)所蔵本
外国人が知ったかぶりして「すべての月が愛されたことが日本文化の大きな特徴」などとテキトーな
ことを朝日新聞に書いてたので、『竹取物語』には「月の顔見るは忌むこと(月の顔を見るのは不吉
なことですよ)」とあるぞ!と知ったかぶりして指摘し、上坂信男(全訳注)『竹取物語』(講談社
学術文庫,1978)の「月の光を身に受けると不幸なことが起るとの俗信があったらしい。『後撰集』
恋二や『源氏物語』宿木巻にも見え、月光に当るのもよくないと『更級日記』にある。」という件に
対しても、〈説明は変だし、「月光に当るのもよくないと『更級日記』にある」というが、見つから
ない(@_@;)〉と書いたけど(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-10-03 )、
知ったかぶりしたぐらいなので、『更級日記』を調べて見付けられなかったのも泥縄だったからで、
「啓蒙的かつ前衛的な好著」(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-01-04 )と
読了時にメチャ高評した本書に次の記述があることを見落としてた、てゆーか、読んだばかりなのに
早くも忘れてしまってたようだ(^_^;)
・・・また、日本の土俗的信仰として月を見るのを忌む風習もあった。『竹取物語』
で、かぐや姫が月を見て物思いにふけっていた折に「月の顔を見るは、忌むこと」と
制せられるのを始め、『源氏物語』や『更級日記』などにも、月は忌むべきものと
する考え方が見出される。/・・・
改めて『更級日記』を調べて、ソレらしき件を見付けたので、関根慶子(訳注)『更級日記(上)』
(講談社学術文庫,1977)の現代語訳で引く(^_^;)
・・・母などはみな[姉が]なくなった部屋の方にいるので、姉の形見に残った
幼い子たちを、私の左と右に寝かせていると、荒れた板屋のすき間から月がもれて
来て、赤子の顔にあたっているのがたいそう不吉に思われるので、袖をその子の顔
にかぶせて、もう一人の子も近よせていろいろと思うにつけ、とても悲しい。/
・・・
「ゆゆしく」(不吉に)の語釈で、関根慶子は次のように記しているよ〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
・・・なお、ここでは月光に妙に青白く見える子の寝顔に、姉の死の折から何か
ぞっとするものを感じたのであろう。古くから、月を見ることを忌むという事が
あって、『竹取物語』にも「ある人の、月の顔見るは忌むこと、と制しけれども」
とあるのをはじめ、『源氏物語』などにも同様のことが見られるが、ここでは
そうしたことは関係なく、月光が、ちごの顔に青白くさすので、思わず(反射的に)
ぞっとしたのであろう。/
池田利夫(訳注)『現代語訳対照 更級日記』(旺文社文庫,1978)の脚注も次の通りである(⌒~⌒)
/色の白い乳児の顔に、青白い月光のあたるのを見て、死人のように見えて
不吉だと感じたのであろうか。/
秋山虔(校注)『新潮日本古典集成 更級日記』(新潮社,1980)の頭注も特にナシオン主権(⌒~⌒)
今夜は月が出てるので傘をさして女を訪ねたといった歌でもない限り、知ったかぶりの付会(⌒~⌒)
・「兄頼朝」ではなく藤原泰衡に「攻められて命を落とし」たんだよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-07-23
・ピーター・マクミランは芭蕉「若葉して御めの雫ぬぐはばや」(『笈の小文』)で変な解釈(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-05-14
[追記220504]
・吉岡曠(校注)『更級日記』(長谷川政春&今西祐一郎&伊籐博&吉岡曠[校注]『新日本古典
文学体系24 土佐日記 蜻蛉日記 紫式部日記 更級日記』[岩波書店,1989]所収)は、問題の件に
付した同書391頁の脚注19で〈「月の顔見るは忌むこと」(竹取物語)と同種の考え方がこの時代
の作品に散見する。〉とするが、余事記載か、同件も「同種の考え方」の意なのか、不明(@_@;)
・「月夜のころ、月の光を浴びながら語り合うなど不吉なこと」と訳す『蜻蛉日記』注釈書も(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-04-30
・菅原孝標女が愛読してた『源氏物語』の「須磨」で光源氏が月光を浴びたり月の顔を見てる(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-05-04