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200723読んだ本【バカチン】

TOKIOの歴史には小島啓は居なかったことになってるのかな(@_@;) 明星編集部編(解題・橋本治)
『「明星」50年 601枚の表紙 カラー版』(集英社新書,2002)を見ると、明星1993年7月号の表紙の
5人のキャプションには「TOKIO(国分太一、城島茂、松岡昌宏、山口達也、小島啓)」とあったし、
同1993年11月号の表紙も上記メンバー5人に松本明子と松村邦洋が加わった7人が載ってるんだけど、
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-04-04 )、「AERA dot.」の今日の記事は
「・・・1994年に日本武道館でデビュー会見を開いてから、26年。・・・」としてるんだよね(@_@;)

【読んだ本】

久富哲雄(全訳注)『おくのほそ道』(講談社学術文庫,1980)所蔵本

外国人が日本の古典に取り組んでて凄いけど、歴史の知識も古典の読解力も不足してるぞヾ(`◇´)ノ

朝日新聞の昨日の朝刊の連載「星の林に ピーター・マクミランの詩歌翻遊」が〈地球が「ゆめの跡」
にならぬよう〉と題して松尾芭蕉『おくのほそ道』の「夏草や兵共(つわものども)がゆめの跡」を
取り上げてたけど、その冒頭を引くオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

    /『おくのほそ道』の途次、かつて奥州藤原氏が栄華を誇った平泉で詠んだ句で、
    人間の儚さを冷静に見つめながら、戦いに敗れた武士たちへの憐れみを感じさせる。
    身を寄せた源義経が兄頼朝に攻められて命を落とし、藤原氏もまた滅んだこの地も、
    今はただ草が生い茂るだけ。この「ゆめ」は中国古典『枕中記』の「邯鄲の夢」を
    踏まえたものだろう。青年盧生が栄枯盛衰の人生を送るが、それは短い夢の中の
    出来事であり、人生の虚栄を悟る故事だ。/・・・

「兄頼朝」ではなく、藤原泰衡に「攻められて命を落とし」たんだよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

また〈この「ゆめ」は中国古典『枕中記』の「邯鄲の夢」を踏まえたものだろう〉はミスリード(-"-)

『おくのほそ道』の「平泉」の当該件を本書から現代語訳とともに引くよ〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    /三代の栄耀一睡の中にして、 大門の跡は一里こなたにあり。秀衡が跡は田野に成りて、
    金鶏山のみ形を残す。先づ高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。衣川は
    和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落入る。康衡[ママ]らが旧跡は、衣が関を
    隔てて南部口をさし堅め、夷をふせぐとみえたり。/偖[さて]も、義臣すぐつて
    此の城にこもり、功名一時の叢[くさむら]となる。「国破れて山河あり、城春にして
    草青みたり」と、笠打敷きて、時のうつるまで泪を落し侍りぬ。

     夏草や兵どもが夢の跡

     卯の花に兼房みゆる白毛かな   曾良

    ・・・

    /藤原氏三代の栄華も一眠りの間の夢のようなものであって、今ははかなく消え去り、
    昔の表門の跡は一里ほど手前にある。秀衡の館の跡は田や野原になってしまい、
    金鶏山だけが昔のままの姿をとどめている。何よりも第一に高館に登ると、北上川が
    眼下を流れているが、この川は南部地方から流れて来る大河である。衣川は和泉が城を
    回って流れ、この高館の下で北上川に合流している。泰衡らの旧跡は、衣が関を間に
    置いた向こうに、南部地方からの出入り口を押さえ、蝦夷の侵入を防いでいるように
    見える。/それはそれとして、源義経が忠義な臣下をえりすぐってこの高館の城に
    たてこもり、功名を競って奮戦したのだが、その功名も一時の夢と消え去り、その跡は
    今ぼうぼうたる草むらとなってしまっている。「国は破れ亡びても、山河だけは昔に
    変わらず残っている。城は荒廃しているが、春が訪れた今、草木だけは昔のとおりに
    青々していることよ」と、杜甫の詩を思い出して口ずさみ、笠を敷いて腰をおろし、
    いつまでも懐旧の涙を流したことである。

     今こうして高館に立って見ると、あたりにはただ夏草が生い茂っているばかり
     であるよ。ここは昔、義経以下の勇士たちが功名を夢見て奮戦した所であるが、
     その功名もむなしく一場の夢と消え去り、今はすべて草ぼうぼうたる廃墟と
     化している。この夏草もやがて枯れ果てるのであろうが、そこに人の世の
     興亡の姿を見る思いがする。

     高館の廃墟に真っ白に咲いている卯の花を見ていると、白髪を振り乱して
     奮戦している兼房の悲壮な姿が、卯の花の中にありありと浮かんで来ることだ。

    ・・・

本書の語釈も「(三代の栄耀)一睡の中」で「・・・盧生の邯鄲の夢の話から出た言葉で、・・・」
とモチ指摘してるが、ピーター・マクミランは「偖[さて]も」を見落としたみたい( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
本書の語釈は「話題を転ずる場合に用いる語で、接続詞。それにしても・それはそうと。」(⌒~⌒)
藤原三代の栄華=邯鄲の夢から「話題」は義経の臣下へと「転」じてるのにオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
だから、この芭蕉の句の「夢」とは、前文に「功名一時の叢[くさむら]となる」とある通りで、

    ・・・「兵ども」は前文の「義臣」であり、「夢」は彼らが夢見た功名であり、
    その「功名」のはかなく「一時」的なものに過ぎぬ意味をも持っている。
    夏草茂る高館に立って、ここで奮戦した義経主従をしのびながら、
    「三代の栄耀一睡の中」「功名一時」の思いを嚙みしめているような
    句である。/
     
と本書の句解v( ̄∇ ̄)ニヤッ 麻生磯次(訳注)『現代語訳対照 奥の細道 他四編』(旺文社文庫,1970)
のこの句の現代語訳も、

    ・・・ここは昔、兵どもが功名を立てようとして、失敗に終わった夢の跡であり、
    栄華の夢にふけった夢の跡でもある。・・・

としているし、井本農一『芭蕉入門』(講談社学術文庫,1977)を披いても、次の如しC= (-。- ) フゥー

    ・・・ここはむかし義経の一党や藤原氏の一族らが、あるいは功名を夢み、あるいは
    栄華の夢に耽った跡である。・・・

以上、この句の「夢」の解釈としては義経の家臣らの「功名」が先ず挙げられるべきなのに、〈この
「ゆめ」は中国古典『枕中記』の「邯鄲の夢」を踏まえたものだろう〉だなんてミスリードだろ(-"-)

中山義秀『芭蕉庵桃靑』(中公文庫,1975)、「松尾を姓とする芭蕉の先祖は、池大納言頼盛の郎従、
弥平兵衛平宗清だとされている。」、「そうした祖先の来歴からしても、芭蕉は義経主従の最期に、
ひとしお哀れをおぼえている。」、また「・・・芭蕉達が腰をおろしている、中段の丘の辺一帯は、
もと判官館のあった所で、義経主従が最期をとげたのは、文治五年閏の四月三十日、太陽暦の六月二
十二日だから、芭蕉と曽良が訪れた日の一週間前にあたる。所と時期がかさなって、感慨もひとしお
というところ。」であり、『義経記』の増尾十郎兼房の勇壮な死の話も紹介した上で「芭蕉も曽良も
武家あがりなので、こういう話にはつよく感動しがちだ。」とした後、この句を紹介している(^_^;)

・ピーター・マクミランは芭蕉「若葉して御めの雫ぬぐはばや」(『笈の小文』)で変な解釈(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-05-14
タグ:歴史 俳諧
コメント(12) 
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コメント 12

ニッキー

TOKIOのメンバーに小島啓さんって方がいらっしゃったとは知りませんでした(°_°)
1994年はTOKIOがメジャーになった年なのかな(*_*)
昔の明星とか平凡を見ると、かなり顔が変わった方が
いらっしゃいますよね(⌒-⌒; )
by ニッキー (2020-07-23 22:29) 

ナベちはる

>TOKIOの歴史には小島啓は居なかったことになってるのかな
SMAPでも同様の件がありました(SMAPの一員だった森さんは有名なボートレーサーになりましたが…)し、そういうことがジャニーズにはもしかしたら割と普通にあるのかもしれませんね(^^;
by ナベちはる (2020-07-24 01:06) 

そら

小島啓・・・知らなんだ
TOKIOの初期メンバーだったんですねぇ!
知られてないのが悲しいなぁ・・・。
by そら (2020-07-24 04:31) 

middrinn

1994年にCDデビューした、というのを、
ニッキー様、各紙誌は注記してますね(..)
加齢による自然な変化なのかどうか^_^;
by middrinn (2020-07-24 05:56) 

middrinn

『消えたジャニーズ』という本が、
ナベちはる様、あったりして^_^;
by middrinn (2020-07-24 05:58) 

middrinn

逸早く小島啓のファンになった人が気の毒ですね(^_^;)
そら様も早起きですね(^_^;) カワセミさんかな(^_^;)
by middrinn (2020-07-24 06:00) 

df233285

この冒頭バカチンは、珍しく私も知ってた。
by df233285 (2020-07-24 07:06) 

middrinn

昨日頂戴した「”ムサシの国破れて山河あり”」というコメ、
バカチンしないのか!?との叱咤と受け止めました(^o^)丿
by middrinn (2020-07-24 07:32) 

yokomi

藤原泰衡だったとは勉強不足でした。隣県とはいえ近くなのに...(^_^;)
by yokomi (2020-07-25 17:51) 

tai-yama

「邯鄲の夢」よりは、杜甫の「春望」の方、正解になるかな?
源氏将軍も3代で終わっているので(廃墟にはなっていないけど)
頼朝にも向けられたとも言える気もしたり。
by tai-yama (2020-07-25 18:17) 

middrinn

「身を寄せた義経」も奥州藤原氏も頼朝に滅ぼされたという間違いがポイントで、
yokomi様、「偖も」の接続詞を見落としたことも相俟って、冒頭の「邯鄲の夢」
を芭蕉の句の「ゆめ」にまでストレートに響かせてしまう、という誤りに(^_^;)
by middrinn (2020-07-25 18:49) 

middrinn

「兵ども」を一般化・普遍化してしまうことで、
tai-yama様、芭蕉を非武装平和主義者に(^_^;)
by middrinn (2020-07-25 18:53) 

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