『ウォーリーをさがせ!』ならぬ『紫式部をさがせ!』だったりして∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですと!?

【買った本&読んだ本】

保坂弘司(全現代語訳)『大鏡』(講談社学術文庫,1981)

「もったいない本舗 楽天市場店」で「良い」710円(送料無料)を510p使って200円で14日に注文して
追跡不可能ゆうメールで17日届いた(^_^;) 「全訳注」じゃない「全現代語訳」(「史実」「鑑賞」が
付いてる節もあった)をどうして買ったかと言えば、保坂弘司『大鏡全評釈』(學燈社,1979)上下巻
を所蔵しており、同書の発行年との関係(^_^;) 国立国会図書館のOPACで同書の刊行年が1985年なのは
データ入力ミスだろうが(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-12-20 )、同書
刊行後に出た本書で訳文が修正されてる可能性があったので注文した次第(^_^;) チラッと見た限り、
チョー細か~く違う箇所はあったけど文意に影響するほどのものではなく、改訳と呼ばれるような件
は見当たらない(^_^;) 本書の「はしがき」には次の件がある(^_^;)

    ・・・/私には、別に『大鏡全評釈』という著述がある[←この一文からも1985年
    刊行でないことが判るし、本書の著者紹介も同書を「1979」と記載]。これは、
    原典追求という学問的立場から、古本系と流布本系との関係を記号によって示し、
    まことに読みにくいものになっている。もとより、原典のもとの姿を探ろうとする
    学問的努力と、原作者の作意を支えようとの善意のもとに加えられる改更の工夫とは、
    次元のちがうものであり、いずれも尊重されるべきであろう。文芸としての享受に
    ウェートを置いた場合、小林秀雄が『無常といふ事』で、『平家物語』について、
    「・・・」といっている。・・・『大鏡』の場合、流布本が原典を文芸的に美化して
    いるかどうかは疑問である。だが、私は多くの後代の加筆者の善意をも認めるに
    吝かではない者である。/ここに、「全現代語訳」の機会を与えられたのを幸いに、
    『大鏡』のもつ文芸性と史実性とを可能なかぎりに再現してみたいと思う。別な表現
    をすれば、原作者の熱いいぶきと意図とを、私自身が創作者になって、とことんまで
    追求してみたいというのである。/・・・

小説家が現代語訳と称して古典作品の原文に無いことも「創作」する類だったりしてヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

    ・・・歴史の鏡に写る当代一七六年間の登場者にあびせる真実と讃美と批判のはざまに、
    和泉式部紫式部も顔を出す。/

本書表紙カヴァーの内容紹介文の末尾だが、そもそも『大鏡』には、和泉式部は「登場」するけど、
紫式部は「登場」しない(^_^;) 本書巻末の〈「大鏡」系図〉には名前が(何故か)あったけど(^_^;)