読書の厄介なところは、小説家が古典をリライトした作品である〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本】

杉本苑子『私家版 かげろふ日記』(講談社文庫,2002)所蔵本

上村悦子(全訳注)『蜻蛉日記(上)』(講談社学術文庫,1978)から訳も一緒に引く( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

    ・・・/また、ほど経て、見えおこたるほど、雨など降りたる日、「暮に来む」などや
    ありけむ、

      柏木の森の下草くれごとになほたのめとやもるを見る見る

    返りごとは、みづから来てまぎらはしつ。/・・・


    ・・・/また、しばらくたって、訪れがとだえているころ、雨などが降ったりしていた日、
    [兼家は]「夕方伺うつもりです」などと言いよこした折だったかしら、私[=作者]は、

      柏の木からしたたる露に夕べごとに下草が濡れるように、あなたの庇護のもとに
      ある私は夕暮ごとに悲しみの涙を流しているのにやはりあなたをあてにして
      待っていよとおっしゃるのですか。来るのお言葉があてにならないのを知りつつ。

    [と詠んで贈るも]この返事は、ご当人がやって来て、うやむやにしてしまった。/・・・

そして、上村悦子・前掲書は、この件を次のように評しているんだよね〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・彼の足がちょっととぎれたとき、雨模様の中を、/「今夜訪れるよ」と
    前ぶれしてくれたことづけに対し、作者が贈った「かしは木の森の下草くれごとに
    なほたのめとやもるを見る見る」の歌を見ると[兼家は]ただちに姿を見せた。
    この歌は『後拾遺集』にもとられたが王朝の人妻らしい風情が百パーセント
    うたわれた秀歌で、兼家も飛んで来ずにはいられなかったであろう。/・・・

柿本奨『日本古典評釈・全注釈叢書 蜻蛉日記全注釈 上巻』(角川書店,1966)も「・・・兼家をして
作者邸に足を運ばせたのは、作者の歌の力である。」と評しているように、『古今和歌集』仮名序に
「・・・男女の仲をもやはらげ・・・るは歌なり」とある通りで、リアル歌徳説話だねv( ̄∇ ̄)ニヤッ
一昨日の話では大雨なのに帰ると言い出した兼家を歌を詠んでも引き止められなかったけどね(^_^;)

さて、さて、さ~て!本題に入るけど、この話を我らが苑子タンは次のように描いてた( ̄◇ ̄;)エッ!?

    ・・・/そのうちに、ぽつりぽつり訪れの絶える夜がつづくようになり、/
    「雨降りでも今夜こそ行く。きっとだとも」/誓いながら、平気で約束を破る
    ようになった。このときの、私の歌……。

     柏木の森の下草暮れごとに
       なほ頼めとや漏るを見る見る

    ・・・    

兼家は「約束を破」らず「訪れ」たのにね(^_^;) 「あとがき」には「・・・/もちろん、逐語訳では
ありません。・・・骨子は枉げず、原作者の心も歪めていないつもりです。どうか気軽に、この古典
を味わってくださいませ。/・・・」とあるけど、先に注釈書で読んでからの方が良いみたい(^_^;)