読書の厄介なところは、バッファローズだと勘違いされていることである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
『大辞林』(初版第一刷)もバッファローで立項してるし、バファローズは関西弁・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;

【読んだ本】

浅見和彦(校注・訳)『新編日本古典文学全集51 十訓抄』(小学館,1997)所蔵本

    ・・・/同じ橘俊綱が播磨の国に下向した時のことである。途中の高砂でもって、
    人々は歌を詠んだ。その時、大宮先生藤原義定[のりさだ]という者が、

     我のみと思ひこしかど高砂の 尾上の松もまた立てりけり

      自分ばかりかと思ってやって来たけれど、高砂の尾上の松も
      老いさらばえて、昔のまま立っているよ

    と詠んだので、人々は大変に褒めたたえたという。/歌僧の良暹[りょうせん]が
    その場にいて、「おとなしい牝牛に腹を突かれたようなもんだ。まいった、まいった」
    と言ったという。/

良暹は僧だけに義定の来世を予言・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;物を盗ったり借りて返さなかった罪を犯したと?
本書の訳に和歌を原文ママで補ったが、良暹の「女牛に腹突かれぬるわざかな」が気になる(@_@;)

この「女牛に腹突かれぬるわざかな」については、本書の頭注には次のように記されている(@_@;)

    おとなしい牝牛に、不意に腹を突かれた。意外な者に予想外のことをされる意。
    当時の諺。

「当時の諺」なのかね(@_@;) この説話以外の用例が「当時」あったのかな(@_@;) ネットで検索
した限りでは、「雌牛に腹突かれる」「牝牛に腹突かれる」は出典も用例も記してなく、挙げてても
説話集『古今著聞集』や藤原清輔の歌学書『袋草紙』で、ソレらは説話集『十訓抄』と同話(@_@;)

『古今著聞集』のは『十訓抄』からの抄入で、西尾光一&小林保治(校注)『新潮日本古典集成 古今
著聞集 上』(新潮社,1983→2019新装版)から、「女牛に腹つかれぬるかな」に付した頭注(@_@;)

    角が後ろに曲っている牝牛に腹をつかれる意から、意外千万なことが起ることのたとえ。
    専門の歌人が素人に詠み負かされたことをいった。

両書よりも古いのが『袋草紙』で、小沢正夫&後藤重郎&島津忠夫&樋口芳麻呂『袋草紙注釈 上』
(塙書房,1974)から「女牛ニ腹ツカレタル類ヒカナ」の語釈(@_@;)

    女牛だと油断して、その角で腹を突かれたような失敗だというのである。
    素人と甘くみていた歌人に、案外な秀歌をよまれたのをいう。

藤岡忠美(校注)『新日本古典文学大系29 袋草紙』(岩波書店,1995)だと、「女牛に腹つかれたる
たぐひかな」に付した脚注で次のように解説されている(@_@;)

    角が後に曲って突けない女牛に腹を突かれること。油断して思いがけない目にあうこと。
    素人歌人と甘く見ていたら詠み負かされたこと。義定の[勅撰集]入集歌は後拾遺集の
    この一首だけ。

手元の『後拾遺和歌集』の各注釈書、『袋草紙』のを紹介してる程度で収穫はナシオン主権(@_@;)
そんなことはさておき、チョー可愛いバファローベルにお腹をツンツンされたい・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;