読書の厄介なところは、飲めぬのに梅酒とか商品化されてそうなことである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
宴や行事で儀礼的に口にしたりするも飲めないことは、詩に詠まれているよ〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
とりあえず、すぐ思い付くネーミングとしては、菅チューハイ、越乃菅梅・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;ソーリヲレンソウ!!

【読んだ本】

藤原克己『菅原道真 詩人の運命』(ウェッジ選書,2002)所蔵本

菅原道真と言えば、梅とされているけど、本書を読んでてチト気になった記述が幾つかある(@_@;)

    ・・・/ちなみに、道真は花を植えるのが好きな人でした。・・・


    ・・・/かくして阿衡の紛議は終息したのですが、道真の讃岐守の任期はもう一年余り
    残っています。しかし私は、その残余期間の詩からはただ一篇だけを取り上げて、この
    章を閉じたいと思います。仁和五年(寛平元年)春の「官舎の前に菊の苗を播[う]う」
    (巻四)という詩です。

     少年愛菊老逾加 少[わか]かりし年より菊を愛し、老いて逾[いよいよ]加われり
     ・・・ ・・・

      若い時から私は菊が好きだったが、老いていよいよ好きになった。・・・


    ・・・/私たちは、道真が菊をこよなく愛し、讃岐守時代にも、官舎の庭に菊を植えて
    いたことを第三章の末尾で見ましたが、大宰府の配所にも、彼はやはり菊を植えたので
    した。そしてそのことを、「菊を種[う]う」という詩に詠んでいます。・・・

     ・・・ ・・・
     未曽種処思元亮 未だ曽[かつ]て種うる処[とき]に元亮を思わず
     ・・・ ・・・

      ・・・これを植えながら私は、あの菊を愛した陶元亮(淵明)と風流を競おう
      などと考えているわけではない。・・・

もしかしたら、道真は梅よりも菊が好きだったのかも(@_@;) ただ、大宰府の配所に道真が梅を植え
なかったのは、京の自邸の梅の木から既に梅が飛んで来てたから・・ヘ(__ヘ)☆\(^^; この飛梅伝説
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-02-02 )を踏まえた説話を、小島孝之
(校注・訳)『新編日本古典文学集52 沙石集』(小学館,2001)の訳で引いておく(^_^;)

    ・・・/安楽寺[現・太宰府天満宮]の飛梅の枝をある武士が子細も知らずに
    折ってしまったが、その夜の夢に、上品な貴人[=道真の霊]がその御殿の縁
    で歌をお詠みになられた。

     情けなく 折る人つらし 我が宿の 主忘れぬ 梅の立ち枝を

      (情趣もわからずに折る人がいるのは辛いことだ。
       自分の宿の主を忘れずにいる梅の立枝[たちえ]を)
    
類話が『平家物語』の延慶本にあり、久保田淳『新古今和歌集全注釈 六』(角川学芸出版,2012)に
引かれてたけど、薪にするため折った人は死んだぞ((;゚Д゚)ヒィィィ! この歌は『新古今和歌集』入集も
神詠とされ、モチ道真作には数えられてない(^_^;) 寺のを折っちゃダメだろ〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)