読書の厄介なところは、木陰は涼しいけど老眼で暗くて読めないことである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本】

長崎健&外村南都子&岩佐美代子&稲田利徳&伊藤敬(校注・訳)『新編日本古典文学全集48 中世日記紀行集』(小学館,1994)

本書所収の長崎健(校注・訳)『東関紀行』の「本野が原」(本書118頁の頭注10は三河国の豊河の宿
の北方約4kmとする)の件の現代語訳(本書118~120頁)の一部を和歌を補って引くニャン(⌒~⌒)

    ・・・茂った笹原の中に幾筋もの踏み分けられた道があって、行く先を迷ってしまい
    そうなのであるが、故武蔵守泰時が道筋の住民に言いつけて植えておかれた柳も、
    まだその木陰に立ち寄るほどにはなっていないが、どうにかこうにか道の案内と
    なっているのには心を動かされることだ。/・・・[略]・・・あの故武蔵守も、
    この召公にならって、人を慈しみ物を大切にすることから、道筋の旅をする人が
    休む木陰にと考えて植えておかれた柳なのだから、これを見る人々は、皆があの
    召公を慕った人たちのように大切に育てて、将来に憩う陰と頼むようにすることが、
    植えられた趣旨に合うはずのものだと思われる。

     植ゑおきし 主[ぬし]なき跡の 柳はら なほその陰を 人やたのまん

     (柳を植えておいた主はすでに死んだけれども、その形見の柳の木々の陰に
      よって、人々はその恩を被ることだろう)

    /・・・ 

『東関紀行』作者が詠んだ歌の「陰」に付された頭注2に「憩うための陰を頼む意と、恩恵を被ること
を含めている。」(本書120頁)との解説もあるけど、福田秀一&岩佐美代子&川添昭二&大曾根章介
&久保田淳&鶴崎裕雄(校注)『新日本古典文学大系51 中世日記紀行集』(岩波書店,1990)所収の
大曾根章介&久保田淳(校注)による『東関紀行』の歌の訳(同書137頁脚注33)の方がいいな(^_^;)

    柳を植えておいた泰時はもはや故人となったが、人々はいつまでもやはり
    柳の原の樹蔭を頼りとして、そのお蔭をこうむるのであろう。

北条「泰時が」「旅をする人が休む木陰にと考えて」「道筋の住民に言いつけて植えておかれた柳」
とあるけど、『吾妻鏡』とかに出てるのかしら(@_@;) 本書の頭注には典拠の指摘が無い(@_@;)
『吾妻鏡』に典拠となる記事が出てたとしても、『吾妻鏡』は源頼朝の「正統な後継者と位置づける
ため」に北条泰時のことを顕彰してて、そのための曲筆・潤色も行なってる、という評価らしいから
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-28 )、虚構認定されてるかも(^_^;)

大曾根章介&久保田淳・前掲書は「・・・道のほとりの行来[ゆきき]のかげまでも、思[おもひ]
よりて植へをかれたる柳なれば、・・・」(同書137頁)に付した脚注31で〈「凡諸国駅路辺植菓樹、
令往還人得休息。若無水処、量便掘井」」(延喜式・雑式)。〉(同書137頁だが、返り点は省略)と
指摘しているから、仮に北条泰時の治績だとしても、割り引いて評価すべきなのかな(@_@;)