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210524読んだ本

読書の厄介なところは、狙ってる古本の値が毎日一円ずつ下ることである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
一円でも安くが基本方針とはいえ、希望する値段になるのは「遥かに遠い先のことである」よ(-ω-、)

【読んだ本】

寺田英視『婆娑羅大名 佐々木道誉』(文春新書,2021)

読了(^o^)丿 佐々木道誉の伝記と思ったら評伝、てゆーか、佐々木道誉に仮託した評論の類い(^_^;)

    はじめに 名物道誉一文字

    第一章 佐々木氏の出自と家職、そして若き日の道誉

     宇多源氏/清和源氏頼朝に従う/道誉の誕生/若き日の道誉/足利尊氏の登場/
     一族の官位と家職/

    第二章 動乱の時代──両統迭立と三種の神器

     両統迭立とは何か/英邁なる尊治親王/文保の御和談/元弘の乱から建武の中興へ/
     朕の新儀は未来の先例/三種の神器/オリジナルと形代/後鳥羽院御番鍛冶/
     後醍醐天皇と足利尊氏/皇位と神器/

    第三章 婆娑羅──その実相と文化人道誉

      二条河原落書と建武式目/

     一 妙法院焼討

      猿の皮の腰当に鶯籠を手に持って/佐々木氏と叡山の角逐/道誉の宥免/

     二 立花

      道の藝術/道誉の花伝書/道誉政敵の裏をかく/

     三 聞香

      香木の渡来/道誉所持百八十種名香/

     四 連歌

      菟玖波集/遠山の霞/雉子と鷹/

     五 能狂言

      橋勧進/

     六 茶寄合

      闘茶/

     七 楠木正儀と道誉

      道誉の屋敷では/

     八 大原野の大饗宴

      管領斯波高経/

     九 肖像自賛と道誉の死

      道誉の自己認識/道誉の戦/

    第四章 婆娑羅かに傾奇へ──変容と頽廃

     武者の時代/天下三槍/傾奇者前田慶次/友田金平の槍/生き過ぎたりや二十五/
     水野十郎左衛門/三島由紀夫/

    第五章 根源的主体性と自由狼藉の間

     「自由」の意味/土岐頼遠の狼藉/高師直/婆娑羅と忠誠心/
     『太平記』二人のスター/婆娑羅とダンディズム/

    あとがき

    主要参考文献

    佐々木道誉略年譜と関連事項

「第一章 佐々木氏の出自と家職、そして若き日の道誉」の「宇多源氏」という見出しの節に、次の
記述(本書18頁)が( ̄◇ ̄;)エッ!?

    ・・・『大鏡』に、宇多天皇が源姓であった十八歳の時、在原業平と相撲を取ったという
    一挿話がある。

      御年十八。王侍従など聞えて殿上人にておはしましける時、殿上の
      御椅子の前にて業平の中将と相撲とらせたまひけるほどに、御椅子に
      うちかけられて高欄折れにけり。その折目今に侍るなり。

    実話ではないとの説もあるが、佐々木道誉の先祖の逸話としてはなかなか味がある
    ではないか。/・・・

貞観9年(867年)生まれのウダダが18歳の時に元慶4年(880年)に亡くなってる業平と相撲ね(^_^;)

細かいと思うだろうが、本書87頁に「延文三年[1358年]、清氏の管領就任につき、・・・」とある
けど、細川清氏が就任したのは執事で、本書120頁に「康安二年(1362)七月、細川清氏の失脚
の後、十三歳の子息義将の管領就任に成功、高経自身はその後見として政務を見るようになった。」
とあるのに見出しには「管領斯波高経」とあるし(義将が管領で、父の高経は事実上の管領)、更に
本書127頁で「義詮は、・・・政務を義満に委ね、細川頼之を執事に任じて・・・月見の宴で、道誉は
執事細川頼之の次席に坐していた。」として本書128頁も「執事細川頼之」としてるけど、細川頼之が
任じられたのはモチ管領(^_^;) 執事か管領かは幕府の支配機構の一元化に関わる問題だからね(^_^;)

とりあえず、今日のところは、本書142~144頁から引いておきますかね〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・/慶次は『前田慶次道中日記』を残した。「慶長六年孟冬、城州伏見の里より
    奥州米沢の庄に至る道の日記」と冒頭にある。

      廿四日

       こはたの里に馬はあれと、ふしみの竹田より打出の浜まては乗物にて行、
       関山をこゆるとて、

         誰ひとりうき世の旅をのかるへきのぼれは下る大阪関

       大津より湖水に舟をなかせは、さゝなみや、三井の古寺、昔なからの
       志賀の花園、から崎のまつ、あなふの里、大ひえ、よ川、ひらの高ね、
       西は勢田の長橋、石山寺、此石山寺は、式部か源氏物語に筆を立し所也、
       其いにしへまて思ひ出て、

         風の上にありか定ぬちりの身は行衛もしらすなりぬへらなり

       とよみし古事をひとりごち、行-難旅-客思浮雲埃-冡-悲に涙もさらに
       留らす、日も漸暮方に賢田に着、漁家のせはしきあしかきのうちにあがり、
       よひと夜ねられす……

    慶長六年(1601)十月二十四日から、こんな調子で日記は始まる。自詠の歌や
    古歌を交えて続く日記は、十一月十九日、米沢の地で終るのであるが、その間、
    興を感じては歌を詠み発句を吟じ、故事に思いを致す。急ぐ旅ではあるが、楽しみも
    その中にあるようだ。たとえば諏訪の温泉に宿をとった時、明けそめた諏訪湖の水面を
    眺め、「こほらぬは神やわたりしすはの海」と吟じ、陸奥に入っては「しらさわを過、
    白川の関路にかゝる、思へは遠くも来にけり、秋風そふく白川の関とよみしは理にや」
    とあり、続けて「白川の関路はこしつ旅衣猶行末も人やすむらむ」と詠じている。
    慶長六年は関ケ原の戦の翌年である。主君である上杉景勝も、負け戦の結果会津
    百二十万石から米沢三十万石に減封された。まだ戦が続くとはいえ、悲哀の旅に
    違いはない。「白川の関路にかゝる、思へば遠くも来にけり」の詠嘆には万感の思い
    があったであろう。「前途ほど遠し、思ひを雁山の夕べの雲に馳す」と詠じた都落ち
    する平忠度の詠嘆と、既に遠くに来てしまった慶次の詠嘆と、いずれもその深切さに
    変りはあるまい。/

目的地までの歌枕を訪ねる典型的な紀行文だが、上杉景勝に従って上洛して減封を受け入れての帰路
かつ米沢への旅路なのだから、「まだ戦が続く」とは不審(@_@;) 「戦」は「旅」の誤記かな(^_^;)

末尾の件は、何か一つでも共通する言葉(ここでは〈(都から)遠い〉こと)があれば、関係がある
とは思えぬ古典作品(和歌が多い)を衒学的に引くのが本書のパターンで、首を捻ること度々(^_^;)
忠度のは藤原俊成との別れを惜しみ、この後に続く「後会期遥かなり」=「今後再会できるとしても、
それは遥かに遠い先のことである」(菅野禮行[校注・訳]『新編日本古典文学全集19 和漢朗詠集』
[小学館,1999])ことを仄めかした漢詩文の一部なのに対して、慶次の「思へは遠くも来にけり」は
「秋風そふく白川の関とよみしは理にや」と続くように白河の関で能因法師の和歌を実感したもので
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-01-01 )、「詠嘆」の中身が違う(^_^;)
単なる思い付きっぽいし、引いてくるのが有名な和歌ばかりという知ったかぶりは恥ずかしい(^_^;)
佐々木道誉や婆娑羅にかこつけて著者が無意味な連想を書きたい放題のオナニー本・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
コメント(8) 
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コメント 8

tai-yama

前田慶次の「まだ戦が続く」はきっと"俺たちの戦いはまだ続く・・"
みたいな打ち切り漫画のオチに見えたり。
「花の慶次」の最期ってどうだったっけ。手元にないので忘れた(笑)。
by tai-yama (2021-05-24 23:05) 

ナベちはる

毎日1円ずつだと、400円下がるのに1年以上掛かりますね…気が遠くなりますね((+_+))
by ナベちはる (2021-05-25 01:06) 

middrinn

漫画的な本書(^_^;) 『花の慶次』、
tai-yama様、小生は未読(^_^;)
by middrinn (2021-05-25 05:06) 

middrinn

100円だって、3ヶ月以上かかりますから、
ナベちはる様、辛抱しきれませんね(^_^;)
by middrinn (2021-05-25 05:09) 

そら

見極めが大事ってことですかね!
いつ買うか微妙な感じ(^^;
by そら (2021-05-25 06:39) 

middrinn

同じく狙っている人がいるかもしれませんしね(^_^;)
妥協とか諦めとかが必要なのかもしれませんね(^_^;)
by middrinn (2021-05-25 06:40) 

yokomi

以前、本を読む度にExcelを使って暦年と事象を整理していました。そうすれば相撲が取れたか既に死んだか判明しやすいですね(^_^;)
ネットが無い何年も前、今は廃刊となったカメラ雑誌で欲しいレンズの値下がり具合を毎月チェックしていたら、或る月から消えてしまい...(T_T) いつまでも有ると思うな親と....の類でした(>_<)
by yokomi (2021-05-25 09:30) 

middrinn

それは凄いですね( ̄◇ ̄;) 人物の生没年があると便利でしょうね(^^)
佐藤謙三(校注)『大鏡』(角川文庫,1969)は脚注がスカスカなので
出てませんでしたが、おそらく『大鏡』の一般的な注釈書なら、コレが
「実話ではない」ことはちゃんと指摘されてると思いますけどね(^_^;)
by middrinn (2021-05-25 14:52) 

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