ボタンに触れたくないのか誰も押さないから赤信号のままで、いつまでも渡れぬ横断歩道(ノ_-;)トホホ…

【読んだ本】

戸板康二『あの人この人 昭和人物誌』(文春文庫,1996)所蔵本

続けて、「菊田一夫の博愛」を読んだ(^^) 名前はモチ知っていたけど、正直、興味ありませんm(__)m
〈広く知られた放送劇「鐘の鳴る丘」で、菊田一夫という名前が世間的にもひろまった。〉とあり、
ソレ以前から有名だったと勝手に思い込んでいたので、この点は認識を改めなければ_φ( ̄^ ̄ )メモメモ

    ・・・/菊田さんは、戦争中、「花咲く港」だの「交換船」だの「道修町
    [どしょまち]」だの、いい芝居を書いていたが、ラジオのために筆をとった
    ものの中には、戦意昂揚を意図した作品もあったので、終戦と同時に、いわゆる
    追放処分(パージ)を受けるだろうと覚悟していたらしい。/昭和二十年の秋、
    私が日本演劇社の編集室にいる時、新聞社から情報が伝わって、こういう作家には
    当分執筆停止が命じられるだろうというのだった。来合わせた北林透馬さんが
    その電話口に出て、先方のいう名前を復唱していたが、社長の久保田[万太郎]さんも
    そこにいて、その名前もはいっていた。菊田一夫という名もあった。(ほかは
    おぼえていない)/結局これは誤報で、根も葉もない噂だったが、そんな風説に、
    みんなが一喜一憂した占領下の雰囲気は、悲しかった。/・・・

ちなみに、久保田万太郎も興味ないけど、「[1942年]4月から内閣情報局の斡旋にて満州国に滞在。
日本文学報国会劇文学部幹事長となり、日比谷公会堂における日本文学報国会の発会式に劇文学部
会長として宣誓を朗読。」(wiki)等の活動をしてたのに、公職追放されなかったとはね( ̄◇ ̄;)
とまれ、公職追放される人がいれば、釈放されたり潜伏先から帰国した人もいるわけで、「左翼系の
新劇人がにわかに活気づいた」として、北見治一『回想の文学座』(中公新書,1987)の記述(@_@;)

    ・・・/しかし、そのころの文学座は、以上のような時流のなかで、すくなからず動揺し、
    窮地に追いこまれていた。戌井市郎によれば、「私たちは胸を張って出獄してきた左翼
    陣営の人たちの前で、戦争中も活動を続けて来たという理由で肩身の狭い思いをしている
    ようなところがあった」からだ(昭和五十二年版『文学座史』)。・・・

・「江戸川乱歩の好奇心」は御愛想と思ってたところ「翌日」「速達」なのが〈ちょっといい〉(^^)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-01-07

・「徳川夢声の話術」は古川ロッパが夢声の声帯模写をしてラジオ聴取者が気付かなかった話(゚ロ゚;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-01-11

・「有吉佐和子の笑い声」は彼女の推理小説の書評を頼まれるも「なぜこんなに下手なのだろう」(゚ロ゚;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-01-18

・戸板康二の「ちょっといい話」シリーズ4冊から〈真・ちょっといい話〉を選りすぐってみた(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-12-27