バードウォッチングして「書いてあった通りだ!文献は信頼できる!」という姿勢に萌え萌え(〃'∇'〃)

【読んだ本】

倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(下)』(講談社学術文庫,2009)所蔵本

藤原道長の日記『御堂関白記』の長和4年(1015年)4月10日条から道長の知性が感じられたぞ(゚ロ゚;)

     十日、己未。 物忌/孔雀、産卵

    物忌であったので、小南第に籠った。(藤原)蔵規朝臣が献上した孔雀は、未だ雄雌が
    判明しなかったけど、酉剋に、小南第の東の池の辺りにおいて、卵を産んだ。近辺に
    食ひ置いていた草葉に、卵を蔵していた。見付けた者が云ったことには、「この昼には、
    卵はございませんでした。ついさっき、鶏のように土を払っていました。その後、また
    見ましたところ、この卵が有りました。巣のような物を作って卵を入れ、寝床の上に
    置きました。孔雀は、これを見て物を啄み、また、卵を抱くような様子がありました」と。
    『修文殿御覧』の孔雀部を見たところ、「鳥というものは、必ずしも交合しなくても、
    音影によって相交り、それで孕[はら]むということが有る」ということだ。これに
    よって、自然に孕むということがわかった。文書[もんじょ]には信が置けるものである。

個人的には最後の一文が萌えポイントだが、ネット検索すると『修文殿御覧』とは「中国の百科事典
である類書《太平御覧》の原本」(平凡社『世界大百科事典』第2版)なんだってさヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

噂になったのか耳が早いのか、藤原実資も日記『小右記』長和4年(1015年)4月11日条に記してて、
倉本一宏編『現代語訳 小右記7 後一条天皇即位』(吉川弘文館,2018)13~14頁から引く( ̄◇ ̄;)

     十一日、庚申。 播磨国御月料を進納せず/斎院修造/孔雀産卵

    ・・・/昨日、孔雀が小南第に於いて卵を生んだ〈卵は鶏より頗る大きい。〉。
    雄がいないのに卵を生むのは、奇しむべきである。[源]政職[まさもと]朝臣が
    談ったところである。

「賢人右府」と言われている実資よりも、ホントは道長の方が読書家なのかもねエッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?

実資は気になるのか、その後も4月16日条(同書18頁)に記し、5月冒頭に割書(同書34頁)も(^_^;)

     十六日、乙丑。 道長の孔雀、産卵

    或いは云ったことには、「相府[道長]の孔雀は、隔日に卵を生む」と云うことだ。
    雄も無くて子を生むのは、希有の事である。或いは云ったことには、「雷声を聞いて
    子を産む。また、水に臨み、影を見て子を生む」と云うことだ。「『日本書紀』に
    見える」と云うことだ。本文を調べなければならない。

    五月
    〈「孔雀の卵子は七である」と云うことだ。〉
     一日、庚辰。 三条天皇、紅雪を服用/道長邸法華三十講始

    ・・・

16日条を見ても、実資より道長の方が読書家と思えてくる(^_^;) でも、もしかしたら、実資のように
「雄がいないのに卵を生むのは、奇しむべき」ことと考えるのが当時のごく一般的な常識であって、
実は道長は稀代の知識人だったりして∑( ̄ロ ̄|||)ニャンと!? 孔雀を観察し続けて記録する道長は
まるで科学者のようでもあり、本書の長和4年(1015年)8月29日条には次のように記すv( ̄∇ ̄)ニヤッ

     二十九日、丙午。 孔雀の卵、孵化せず

    内裏に参った。孔雀が卵を抱いたのは、四月二十日の頃から今月二十日に及んでいた。
    その後は、抱かなくなった。卵が孵る事は無かった。先年の外記日記の記述と同じで
    あった。