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200728読んだ本

指導を受けた先生の代表的な著書の記述をパクっていることに本人は気付いてないのかヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
憧れの人の口癖や仕草などを無意識に真似してしまうことはあるあるだが〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本】

倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(上)』(講談社学術文庫,2009)所蔵本

藤原道長の日記『御堂関白記』の現代語訳を刊行する意義が本書の「はじめに」に記されてる(@_@;)

    ・・・/一般に平安時代の貴族たちに対する理解というのは、彼らが遊宴と恋愛のみに
    熱意を示し、毎日ぶらぶら過ごしていた、というものであろうと思われる。しかしながら、
    それは主に、女流文学作品に登場する男性貴族たち(象徴的には光源氏)の姿を、
    現実の平安貴族の生活のすべてと勘違いしてしまったことによる誤解である。/
    仮名文学を記した女性たちにとっては、男というものは自分たちのいる場所に
    夜になると遊びに来る生物なのであり、その世界においてしか知らない。また、
    読者層も女性が多かったであろうから、政務や儀式の詳細を記述できるはずもない
    のである。/その意味では、平安貴族たちの本当の姿を知ることができる古記録の世界を、
    一般の方々にも楽しんでいただくというのは、この時代に対する理解を考え直すきっかけに
    なるものと信じている。/もう一つ、古記録を読解して平安時代史を構築するのは
    一部の専門家の仕事、文学作品を読んで平安時代史像を思い描くのは一般人の趣味、
    といった区分が、かつては無意識的に存在したはずである。「専門家向け」の学問
    としては古記録のみを扱い、歴史物語などの文学作品は「アマチュア」向けのもの
    と喝破された土田直鎮先生が、その名著『王朝の貴族』(中央公論社)においては、
    『大鏡』や『栄花物語』などを縦横に駆使して王朝時代史像を描かれているのが、
    象徴的な例であろう。もちろん、私はこれを非難しているわけではなく、一九六〇年代
    当時の「アマチュア」の、特に摂関期に対する知識の程度を踏まえれば、そして
    大正生まれという土田先生の知識エリートとしての自己認識を考えれば、致し方ない
    ところであろうと、かつて書いたことがある。/しかしながら、『王朝の貴族』が
    刊行されてから四〇年以上を経た現在の状況は、「プロの歴史学者」はともかく、
    「アマチュア」に関して言えば、まったく異なっている。私が直接接している限り、
    今や「アマチュア」の皆さんは、驚くべき知識水準に達しているのである。
    これらの方々にも、古記録の世界に足を踏み入れてもらえれば、平安時代史に対する
    一般的な認識も、自ずと変わってくるはずである。/・・・

では、単行本は1965年に出た土田直鎮『日本の歴史5 王朝の貴族』(中公文庫,1973初版→2004改版)
の「公卿と政務」の章の冒頭を次に引くので、既視感を体験させてあげようオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

    /ふつう、平安時代の貴族は、政務をおろそかにして、毎日詩歌管弦に時を過ごし、
    遊んでばかりいたように思われがちである。いかにも、源氏物語を読んで光源氏や
    そのほかの貴族たちの生活をたどってみると、政務に従事しているというような姿は
    さっぱりあらわれないで、ただ参内してブラブラしていたり、女との恋愛に苦心したり
    しているように見受けられる。/けれども、それだけでかれらの生活がわかったように
    思っては大間違いである。第一に紫式部は後宮にいる女性だから、男たちが
    政府の一員として扱っている政務の具体的なことなどは知っているはずがないし、
    第二に、日常の行政事務のことなどはどうも文学の種にはなりにくい。それで当然、
    源氏物語には公卿の政治的な行動が出て来ないのであって、物語に書かれた生活の
    一部から、かれらが政治をまったく投げやりにしたと判断するのは早計である。/・・・
    
倉本一宏が記している「一般に平安時代の貴族たちに対する理解」云々は44年前の土田直鎮の記述を
なぞっただけのものオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ! 44年前と状況が全く同じならば〈今や「アマチュア」の
皆さんは、驚くべき知識水準に達している〉という認識も怪しく、また44年経っても変わらないのに
「平安時代史に対する一般的な認識も、自ずと変わってくる」とは思えないオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

前に指摘したけど(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-04-26 )、倉本一宏は
「摂関期の望ましい政治家像 政務と儀式の実態」という芸術新潮1994年4月号掲載の一文の冒頭では
次の如く記してたが、やはり「一般」の理解の話であって、まさか学界での話じゃないよな(@_@;)

    /摂関期の公卿たちが、宴会と恋愛のみに熱意を示し、毎日ぶらぶら過ごしていた
    という理解は、今日ではもはや見られないものと思われる。・・・

・『藤原道長「御堂関白記」』は「全訳注」ならぬ「全現代語訳」ゆえ値段的に買う価値ナシ(-ω-、)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-06-28

・「古今集に次ぐ勅撰和歌集である拾遺集」だとぉ!土田直鎮も無教養ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-03-26

・土田直鎮『日本の歴史5 王朝の貴族』は『紫式部日記』を誤読してるヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-12-04

・倉本一宏は『藤原道長の日常生活』でも昔の著書『摂関政治と王朝貴族』と違うことを書いてた(^_^;)

 ⇒ https://yomunjanakatsuta-orz.blog.ss-blog.jp/2015-06-16

・9ヶ月後に出した『藤原道長「御堂関白記」を読む』で御堂関白記の性格について早くも修正(⌒~⌒)

 ⇒ https://yomunjanakatsuta-orz.blog.ss-blog.jp/2015-06-24
タグ:歴史
コメント(10) 
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コメント 10

ニッキー

口癖を真似しちゃうのは誰でもありますが
記述は真似るのとは違う気が(ー ー;)
ご本人、気づいてないはずないと思うのですが(*_*)
by ニッキー (2020-07-28 21:03) 

middrinn

イヤイヤイヤイヤ、何度も何度も読み込んでいる内に
血となり肉となって身体化しちゃったのかも(^_^;)
by middrinn (2020-07-28 21:20) 

tai-yama

本を出せるからといって、その人がプロの記述ができる人かと
言うと・・・。Wikipediaに記載している人達(著作者からしたら
多分アマチュア)の方が記述に関してはプロかも。
インターネットのおかげで垣根が低くなったのは事実だったり。
by tai-yama (2020-07-28 22:39) 

ナベちはる

引用ならともかく「パクリ」はさすがにアウトですね(^^;
万が一ということがあったりするので何ともですが、意図的にやっているのだろうなと…
by ナベちはる (2020-07-29 01:16) 

middrinn

イヤイヤイヤイヤ、wikipediaの記述にも、
tai-yama様、間違いだらけのド素人のも
混じってますよ(^_^;) 垣根が低くなった
のも、良かったのか悪かったのか(^_^;)
by middrinn (2020-07-29 05:38) 

middrinn

引用だと論旨が破綻すると自覚して、
ナベちはる様、少しだけ手を入れて
パクったのかもしれませんね(^_^;)
by middrinn (2020-07-29 05:44) 

yokomi

「無意識に真似してしまう」心配があり、川柳の勉強をやめました(>_<) 記憶が良いのか悪いのか...(^_^;)
by yokomi (2020-07-29 08:58) 

middrinn

清少納言が皇后の定子の前で和歌を詠むことを免除してもらったのは、
なまじ古歌の知識があるため盗作を恐れたからと萩谷朴は推理(^_^;)
by middrinn (2020-07-29 09:29) 

美美

無意識なら仕方ないのかもしれませんが
それが頻繁で引用までしてしまうのはどうかと・・・
了解を得ていたらいいんかしら?
by 美美 (2020-07-29 14:45) 

middrinn

無意識になぞってしまうほど弟子の血肉になってたら師匠としても満足かも(^_^;)
ちゃんと出典を明記し加筆修正等せず鍵カッコで引用するなら了解も不要かと(^^)
by middrinn (2020-07-29 15:22) 

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