今日が何曜か分からない人?(^o^)丿ハーイ! 即答できぬ(ノ_-;)ハア… あと×日とカウントは続く(-ω-、)

【読んだ本】

篠田達明『モナ・リザは高脂血症だった 肖像画29枚のカルテ』(新潮新書,2003)所蔵本

目次を見れば誰もが読みたくなるであろう本書、「藤原定家のマラリア三日熱」の篇から引く(@_@;)

    ・・・/マラリアは肉体的な衰弱ばかりでなく、精神的にもダメージを与える。
    定家を引っ込み思案にさせ、ものごとを悲観的にみる気持をおこさせたのも
    小児期からの宿痾のためのようだ。孤独癖のあった定家は、参内した公卿たちが
    談笑しながらくつろぐとき、一人片隅の柱に寄りかかって物思いにふけっていた
    という。

    「舟の中に う(憂)き世の岸を はなれてや 知らぬ薬の 名をばたづねむ」

    これは定家五十七歳の歌(『拾遺愚草員外』)であるが、病弱の身によく効く薬を
    求めて舟旅にでたいという願望がこめられている。マラリア特効薬のキニーネも
    なかつたから、ずいぶん苦しんだにちがいない。・・・

この歌を「病弱の身によく効く薬を求めて舟旅にでたいという願望がこめられている」とは、表面上
の言葉そのままで、全く読み解いてない(´ヘ`;) この歌は藤原定家の家集『拾遺愚草員外雑歌』の
「文集百首」の中の「法門五首」の一首である(^^) 久保田淳(校訂・訳)『藤原定家全歌集 下』
(ちくま学芸文庫,2017)から引くけど、

    或上人[=慈円]、文集の詩を題にてよまむと思たつ事ある、結縁すべきよし
    すゝめ申されしかば、老ののちのいたづらごと書きつけてつかはしし

とその前書にあるように、慈円の勧めで詠んだ「文集百首」とは、『白氏文集』の詩句を歌題とした
句題和歌(^^) 和漢比較文学会編『和漢比較文学叢書 第十三巻 新古今集と漢文学』(汲古書院,1992)
所収の石川一「慈円『文集百首』考」は「この結縁とは将来成仏できるような因縁を結ぶことである
から、和歌と仏道とを意識的に結び付けようという側面は認められよう。」と指摘するし、この歌は
「法門五首」の中の一首で、「法門」とは、仏の教え(^^) で、この歌の歌題とされた「『白氏文集』
の詩句」を久保田淳・前掲書の注の訓み下し文で引く(^^)

    由来(もとより)生老死、三病長く相随ふ、無生念を除却して、人間薬の治する無し

〈底本「念」を「忍」とする。白氏文集により改める。〉とあるけど、「無生忍」で「事物は本来、
生ずることも滅することもないという真理を知ること。」という意味の仏教用語と手元の『大辞林』
(1988年初版第1刷)にもある(^_^;) とまれ、生きる・老いる・死ぬを始め、貪病・瞋病・痴病の
三病は、生滅を超越した無生忍の悟りを除けば、人間世界に治癒の薬など無い、の意かと(^^) 以上、
この歌は仏教的なニュアンスが濃厚なわけで、久保田淳・前掲書も次のように訳している(^^)

    憂き世の岸を離れて(出離して)、船に乗って彼岸に向かい、
    知らない不老不死の薬の名を尋ね求めようか。

出離とは煩悩を断って迷いの境地を離れること、仏門に入ることなので、ドクター篠田による診断は
表面的過ぎたねぇ(^_^;) ただ、久保田淳・前掲書は〈同じく白氏文集の「海漫々」に歌われている、
秦の始皇帝が不老不死の薬を求めた故事の心をも籠める。〉とも付記してはいるけどね( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚