「Gが出たの!今すぐ来て!」と言われて「不要不急の外出じゃん」と断ると角が立つ( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

【読んだ本】

粕谷一希『中央公論社と私』(文藝春秋,1999)

「中央公論」等の編集長として多くの論客・作家を世に送り出し、評論家を経て、雑誌「東京人」を
創刊した粕谷一希の回顧録で、老舗出版社が衰退していく過程を描くとともに、戦後史でもある(^^)
読了済だけど(ちなみに、「第二部 修羅と愛惜」は雑誌掲載時に読んだ)、再読することにして、
「第一部 回想」の「修業時代」と「七十周年記念祝典」の両章を読んだ先日に続き、「『婦人公論』
と『思想の科学』」の章を読んだ(^^) 丸山真男の党派性を示すエピソードもいいが、「婦人公論」の
編集者として幸田文の連載随筆「驛」を担当した話から本書66頁を引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・/またあるとき、頂戴した原稿の小見出しを私が勝手につけてしまったことが
    あった。すると幸田家に勤めていた土橋さんという露伴の書生(おそらく熱狂的ファンで
    とうとう内弟子となり、露伴の死後は文さんの相談相手兼秘書をしていたのだろう)が
    会社にやってきて、そのことを嶋中編集長(山本[英吉]さんから代わっていた)に
    抗議した。/すると嶋中さんは即座に、「いや、それは私が悪うございました」と簡単に
    詫びた。そしてそのことに関しては、その後私を叱責することもなかった。/こうした
    応対を経験すると忘れがたいもので、また作家の文章に対する編集者の分際を身にしみて
    覚えるものである。編集長の在り方、上司の在り方についても、この事例はのちのちまで
    私の脳裡に残った。/・・・

嶋中鵬二、編集者としてのセンスもあって、こうやって人の上に立つ者としての器量もあったのに、
経営者としては・・・(ノ_-;)ハア… 「中央公論」等の雑誌の記事タイトルは編集者が決めているのに、
寄稿者が「作家」で、「随筆」だからかな(@_@;) 勝手に原稿タイトル変えられるのマジ不快(-"-)