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200411読んだ本

近所のヤンママ、かなりの美人だが、具体的にどこがと指摘できないけど、元ヤンのにおいが(@_@;)
コロナの副産物か旦那さんを初めて目撃、リーゼント、スタジャン、しかも背中に昇り竜の刺繍という
田舎のヤンキー風( ̄◇ ̄;) 女性を見る目があると自己満足も新ヤンキーの法則の発見には至らず(..)

【読んだ本】

村上陽一郎『ペスト大流行 ─ヨーロッパ中世の崩壊─』(岩波新書,1983年)所蔵本

大昔に付箋を貼って色々と書き込みまでして読了した本、「創造的休暇」と題した節を引く(⌒~⌒)

    /こうして始まった十七世紀イギリスのペストは、科学の歴史上きわめて重要な副産物を
    残したことになっている。というのも、このペスト流行期、一人の田舎出の青年が、
    ケンブリッジのトリニティ・カレッジを卒えたばかりであった。この青年の通っていた
    大学は、ペスト流行の凄まじさのために、何回かの休校を繰り返した。/仕方なく
    その青年は、休校中の大学を離れて、故郷の田舎に帰った。そして故郷の田舎で
    ぼんやりと日を過すうちに、光の分光的性質と、重力の逆二乗法則を、そしてさらに
    微積分計算の基本的アイデアを発見したと言われている。その青年の名は言うまでもなく
    アイザック・ニュートン。/この「已むを得ざる」休暇とか「創造的休暇」とか
    呼ばれるエピソードは、ヨーロッパ史上ペストのもたらした最も大きな「成果」として
    伝え継がれてきている。このエピソードは、実はニュートンその人に直接由来する。
    後年ライプニッツと微積分法の発明の先取権を争った際に、自分が非常に若い頃に
    すでにそのアイデアを得ていた、ということの弁明のために書いた文書のなかで、
    以上の三つの着想を挙げた上でこう述べている。「これら〔の発見〕はすべて、
    一六六五年と一六六六年のペストの流行した二年間のことであった。この時期は
    年齢からいって私の発見の最盛期にあたっており……」/しかし、このペスト流行に
    まつわるロマンティックな創造物語も、よくある英雄譚の一つで、どうやら、
    ニュートンの着想や細かい計算は、むしろ大学にいたときに得たものであって、
    ペストによる「創造的休暇」は、あり得たとしても、それは、着想の洗練化
    [ソフィスティケーション]に費やされたものと考えられる(たとえば島尾永康
    『ニュートン』岩波新書参照)。/そのうえ、重力の逆二乗法則の着想は、たしかに
    この時期に生れてはいたが、のちにフックとこの着想の優先権をめぐって
    争うことになったときに主張したものとは異なった根拠に基づいていたことが、
    今日では明らかになっている。/

この「後年ライプニッツと微積分法の発明の先取権を争った際に、・・・弁明のために書いた文書」、
短すぎて断定はできないが、村上陽一郎『西欧近代科学 その自然観の歴史と構造』(新曜社,1971)
で引かれている「ハレイ[←有名な彗星発見者]宛てのニュートンの弁明」と似てるような(@_@;)

    ・・・/ニュートンはこれ[ニュートンの剽窃とフックが抗議したこと]に対し、
    自分は一六六六年(例のトリニティ・カレッジの学生で、ペストのため故郷に
    戻っていたころ)に、すでに逆2乗の法則の定式化を完成していたとして、
    その証拠として、「惑星の公転周期はその軌道の中心からの距離の3/2乗に比例する
    というケプラーの〔第三〕法則から、私は惑星をその軌道に保っている力は、
    惑星の回転の中心からの距離の2乗に反比例しなければならない、と結論した。
    この事態は一六六五年と六年のペストの二年間にあったことである。というのは
    当時の私は、創造力の絶頂期にあり、後のどの時代よりも一層数学や自然学について
    思索していたからである」とハレイに伝えている。/・・・

この「ハレイ宛てのニュートンの弁明」、同書は明記してないが、文脈的に1686年か1687年(@_@;)

村上陽一郎が「大学院時代の指導教官」と「あとがき」に記されている中島秀人『ロバート・フック
ニュートンに消された男』(朝日選書,1996)には次の記述([ ]は原文ママ)があった(@_@;)

    ・・・/このときの一連の科学上の発見のことを、ニュートンは五〇年ほどたって、
    次のように振り返った。それによると、一六六五年の初めに数学のいくつかの発見を
    成しとげた彼は、

      一一月には、流率[微分]の直接的な方法を手に入れました。翌年の一月に
      色彩論に到達し、その五月には流率法の逆[積分]に入りました。この年に
      私は、重力が月の軌道まで広がっていると考えるようになりました。そして、
      (球殻内を回転する球体が球殻を押す力の見積もり方を見いだしていましたから)、
      惑星の周期がそれらの軌道の中心までの距離の二分の三乗に比例するという
      ケプラーの法則から、惑星を軌道にとどめている力は、回転中心から惑星までの
      距離の二乗に逆比例していなければならないと結論しました。それらを使って、
      月をその軌道にとどめるのに必要な力と地表の重力を比較したのですが、
      それらがかなりよく一致していると分かりました。これらはみな一六六五年から
      六六年のペストの二年間のことでした。

上記の「ハレイ宛てのニュートンの弁明」に類似するこの引用文は、文脈的に1715年か1716年頃の
ものかな(@_@;) 注によると、リチャード・S・ウェストフォール(著)田中一郎&大谷隆昶(訳)
『アイザック・ニュートン』(平凡社,1993)第1巻421頁に出てるらしいが、図書館は臨時休館(+_+)
コメント(11) 
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コメント 11

tai-yama

コロナ自粛の後に、凄い理論が発表されるかも・・・・
でも、最近の日本人の論文は細かい所を突っ込まれたり、頭の中だけ
存在していたりと・・・STAP細胞はありますとか(笑)。
by tai-yama (2020-04-11 19:37) 

middrinn

ヤンキーは早婚が多いというヤンキーの定理なんかは如何でしょうか(^o^)丿
意外なアイデアと緻密な検証でブイブイ言わせるわよオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
by middrinn (2020-04-11 19:52) 

ニッキー

今時、リーゼントに背中に昇り竜のスタジャン(°_°)
えっと・・・そういうノリで売ってる芸人さんとか?w
ぼんやりと故郷の田舎で過ごしてそれだけの発見をするとは
やっぱり天才はぼんやりでも凡人とは違うんですねぇ(⌒-⌒; )
by ニッキー (2020-04-11 20:07) 

df233285

この1714年の回想は、微分積分の件以外では、末梢的情報の疑いが
あるのでは。エドモンド=ハレーは、少なくとも”天体は二次曲線軌道と、
面積速度一定則は、逆2乗則の帰結”の件を、アイザック=ニュートン
から、プリンキピアの著作の前に聞いて知っていたのであり、逆に
”自説の早期発表"を、相当ニュートンへ要求し支援していたような話を、
私は若いときに、今は私の部屋に、ほこりにまみれている成書で読ん
だような気がします。なお当時から、ロバート=フックは今と同じく大物。
『距離3乗公転周期2乗比例則は、逆2乗則から導出可能』を証明した
一人と聞きます。そしてフックの仲間のエドモンド=ハレーはこの時代、
確かに学会の権威者だったと思いますが。経緯からみて、わざわざ
ニュートンが、エドモンド=ハレーに改めて、万有引力の件に関して、
業績事実を18世紀になってから、くどくど自己主張するというのも、
弁明行為(?)自体に筋違いの謎が、含まれている疑いがあると、
私は思います。
by df233285 (2020-04-11 20:45) 

middrinn

バンドの人かと小生は思いましたよ(^_^;)
ニッキー様、実際には、この「創造的休暇」
の前に発見していたことが、そのノートから
判明してるので天才伝説の一種かと(^_^;)
by middrinn (2020-04-11 21:17) 

middrinn

長さん様が3例目の引用のことをおっしゃられたのなら、「微分積分の件以外では、
末梢的情報」であると判断されるのには、3例目の引用は「微分積分の件」の記述が
「重力の逆二乗法則」の記述の数倍の分量は存在し、ソレを中島秀人が引用せずに
省略したことが明らかにならないと(^_^;) 「一一月」の「流率[微分]の直接的な
方法」と「五月」の「流率法の逆[積分]」は「微積分計算の基本的アイデア」を、
「翌年の一月」の「色彩論」は「光の分光的性質」を、「この年」の「重力が月の
軌道まで広がっている・・・」云々は「重力の逆二乗法則」を指していて、本書の
村上が「以上の三つの着想を挙げた上で」と述べていることと合致するかと(^_^;)
「重力の逆二乗法則」を証明したことがあるとニュートンから直接聞いたハレーが
証明を送るよう求め、その後、更に論稿「物体の運動について」がニュートンから
ハレーに送られて、ソレが『プリンキピア』へと発展したことなどなど、中島秀人・
前掲書は経緯を丁寧に紹介しております(^^) また2例目の引用に補筆したように、
「ニュートンの剽窃とフックが抗議した」ために、ニュートンと王立協会との仲介者
的立場にあったハレーに対してニュートンは「弁明」せざるを得なくなった次第で、
「弁明行為自体」は「筋違い」でないことは中島・前掲書をお読みになれば、御納得
頂けるかと(^_^;) 同書はハレー(中島は「ハリー」と表記)を「状況証拠から、
フックがハリーを王立協会の事務の仕事から引きずり降ろそうと運動したことが
分かる。王立協会は、ハリーの事務の仕事が怠慢ではないかと調査までした。」と
あり、年齢的にも「ハレーはこの時代、・・・学会の権威者」とは思えません(^_^;)
フックは「今と同じく大物」ではなく、当時は〈今と違って大物〉というのが、その
書名からもお分かりかと思いますが、中島・前掲書の主題かと(^_^;) 中島・前掲書
が丁寧に詳論してますが、「フックは、ニュートンが自分から引力の逆二乗の法則
を剽窃したと述べた。この主張に理がないことは、本章の議論から明らかであろう。
フックが逆二乗則を最初に明確に述べたのは、一六七九年に始まるニュートンとの
文通のときであった。七四年の『地球の運動を証明する試み』の段階では、フックは
まだ逆二乗の関係を把握していなかった。フックがこの関係を思い至ったのは、詳し
い研究によると、七四年以降七六年夏以前のことである。」とし、また1684年1月に
「王立協会の中心的な人物レン、フックと、南天の観測で二〇代にして名をなして
いたハリーの三人」(この記述からも「ハレーはこの時代、・・・学会の権威者」と
思えません)の間で力学が話題となり、既に「ハリーもレンも、引力が距離の逆二乗
に比例することを直感的に知っていた。」が、「フック一人が、その証明をしたこと
があるといい張った、」ので、賭けをしたところ、「だがフックは、結局その証明を
示すことができなかった。」という話を紹介し(直後、ハレーはニュートンを訪問
して、上述の経緯に繋がります)、フックが逆二乗の法則に他の人々と同様に直感的
に辿り着いていた事実も詳述してますが、フックはその「証明」が出来なかったこと
も指摘しており、故に、フックは「証明した一人」ではないのではないかと(^_^;)

[追記]
3例目の中島・前掲書の引用=ニュートンが「五〇年ほどたって・・・振り返った」
ものを、村上・新曜社は自らが描き出したニュートン・フック論争のストーリーの
「ハレイ宛てのニュートンの弁明」に誤転用したのでは?と思えてきました(^_^;)

[追記の追記]
となると、中島・前掲書の引用=ニュートンが「五〇年ほどたって・・・振り返った」
ものは村上・岩波の「後年ライプニッツと微積分法の発明の先取権を争った際に、
自分が非常に若い頃にすでにそのアイデアを得ていた、ということの弁明のために
書いた文書」で、おっしゃる通り、「微分積分の件」がメインであり、中島・前掲書
は「微分積分の件」の記述をかなり省略して引用していることになりますねm(__)m
by middrinn (2020-04-11 23:29) 

ナベちはる

「ヤンママ」かどうかは、そのママさんの子供がどれぐらいの年齢かを見れば判るとかなんとか…気のせいかもしれませんが…(゜゜)
by ナベちはる (2020-04-12 01:10) 

middrinn

ヤンキー系は早婚と言いますけど、たしかに若いのに子供がいますよね(^_^;)
by middrinn (2020-04-12 06:38) 

yokomi

 ニュートン、ハリー...となると星見ストとしては興味深いところ(^_^;) 15年ほど前に勤めていた所の部下にヤンママが居て、或る時ヨコミーの袖を引っ張り、自席の机へ(怪しい関係では無く、同級生の娘(^_^;)。曰く「ねぇねぇ係長、可愛いでしょう?」とデスクマット下の我が子を指さして....。んにゃ、君の方がよほど可愛いよ....とは言えませんでしたが(^_^;)
by yokomi (2020-04-13 16:52) 

middrinn

中島秀人の本は星のこと少ししか出てませんが、大佛次郎賞受賞作(^^)
今なら「君の方がよほど可愛いよ」とサラッと言えますよね(⌒~⌒)ニヤニヤ
by middrinn (2020-04-13 16:59) 

yokomi

 昨年、大佛次郎の記念館へ行って来ました。バラを見ながら(^_^;) 最近、兄上様の著作を数冊入手しました。宝物(^_^)v
by yokomi (2020-04-15 20:34) 

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