ポストの中を隈なく覗いたら何かが横に貼り付いてるじゃんヒィィィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ その正体は「冷マ」こと
水道屋さんの冷蔵庫用マグネット広告だった(^_^;) 別に集めてはいないけど、何かの時のために、同じ
業者のは最新のに交換して、キッチンの換気扇の覆いにポスター(小松原一男&椋尾篁によるメーテル
のだが、東海林修さよなら999LP購入特典か)貼るのに活用してる(^^) 今朝6時半に1度ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
ネットで確認しただけで、暖房を使ってなくても屋内はそこまで寒くないから実感できないけど(^_^;)

【読んだ本】

宮崎莊平(全訳注)『紫式部日記(上)』(講談社学術文庫,2002)所蔵本

読了(^o^)丿 第7刷だが、147頁の「小少将の君」の語釈の「源通時の娘」は「源時通の娘」の誤植^_^;

本書と併読したのは、山本利達(校注)『新潮日本古典集成 紫式部日記 紫式部集』(新潮社,1980→
2016新装版)、長谷川政春&今西祐一郎&伊籐博&吉岡曠(校注)『新日本古典文学体系24 土佐日記
蜻蛉日記 紫式部日記 更級日記』(岩波書店,1989)、藤岡忠美&中野幸一&犬養廉&石井文夫(校注
・訳)『新編日本古典文学全集26 和泉式部日記 紫式部日記 更級日記 讃岐典侍日記』(小学館,1994)
で、萩谷朴『日本古典評釈・全注釈叢書 紫式部日記全注釈 上巻』(角川書店,1971)は拾い読み^_^;

寸評すると、萩谷・全注釈が現代語訳も載ってるし注釈の情報量(論点では他説も引用して紹介)や
論述内容からしてダントツ(^o^)丿 伊籐・新体系は『紫式部集』を併録も脚注式で情報量が少なく、
山本・新潮も『紫式部集』併録で頭注式だが巻末の付録がメチャ充実だし(読みながら使いこなすと
実に便利!)現代語訳も色刷りの傍注式なので同じ部分訳でも脚注式の伊藤・新体系よりは多い(^^)
中野・新全集は本書と同様に全訳も頭注式で情報量が少なく、本文に出てくる和歌が勅撰集にも入集
する事実すら記さず、また紫式部の初出仕年について伊籐・新体系が採る寛弘2年説か萩谷・全注釈や
本書が支持する寛弘3年説かに学説は割れているのに(山本・新潮は寛弘2年と寛弘3年の両説併記)、
寛弘元年説を唱えるイミフぶりな上、本文に「古今、後撰集、拾遺抄」とあるのは直後の件からして
「古今集、後撰集、拾遺集」と訳すか、「拾遺抄」とは『拾遺抄』ではなく『拾遺集』である所以を
注で説明すべきなのに、どちらもしない体たらくゆえ屑本認定ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! グレートバカチンガァ!!
『更級』の犬養訳は良いよ(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-01-23 )(^^)

『紫式部日記』『源氏物語』の研究者は紫式部を偶像視し、特に本書は異常なほどあらゆる批判から
紫式部を守ろうとしているが(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-11-24 )、
上巻を読了し、本書の異常なまでの紫式部に対する愛情・信仰を再確認〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

出産した中宮彰子が居る藤原道長の土御門第を一条天皇が行幸した場面で、中宮付きも兼務している
内裏のベテラン女房の2人を、「これはよろしき天女なり」と紫式部が評している件がある(@_@;)

伊籐・新体系277頁脚注32は「これはよろしき天女なり」について次のように解釈するC= (-。- ) フゥー

    二七五頁の内侍らの天女のたとえに対し、こちらは年輩の女なので、
    皮肉をこめて「よろしき」(ちょっとした)天女といったものらしい。

山本・新潮も「よろしき」を「相当な」と傍注で訳した上で、頭注で次の如く解釈する( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

    四二頁で天女にたとえたのに対し、ここは年輩の女なので相当な天女だと
    皮肉さをこめたようである。

屑本は頭注で触れてないので、「相当な?天女である」と訳す萩谷・全注釈の評釈も引くv( ̄∇ ̄)ニヤッ

    これは皮肉な表現である。「よろしき」は、通例、並みひととおり、平凡、
    たいしたものではない意に用いられるので、かなりだ、相当なものだという
    素直な賞め言葉に用いられるのがむしろ少数例である。筑前や左京は、
    おそらく既に四十歳を越し五十歳に近い。当時でいえば老女の部類に属する
    女性であったろうから、弁の内侍や左衛門内侍ら女盛りの美人について
    「むかし天下りけむ少女子のすがたもかくやありけむ」と評したのに比べて、
    一段と見劣りのすることを「これは、よろしき天女なり」と皮肉な表現を
    したのであるから、素直な賞め言葉として「よろしき」が用いられたとは
    思われない。・・・

「よろしき天女」との表現は紫式部の「皮肉」と捉えるのがフツーだが、本書は違うヒィィィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

    まあまあの天女。さきに二人の内侍を「むかし天降りけんをとめの姿も、かくや」と
    評したが、それと比べて、やや年輩のこの二人の命婦の様子を、軽い諧謔をこめて
    描いたもの。

「皮肉」じゃなく「軽い諧謔」だと( ̄◇ ̄;) いじめを目撃しても仲良く遊んでるとか言いそう(゚ロ゚;)

・紫式部のは伯父の藤原為頼が詠んだ歌をパクって初二句を考えただけなのにオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-11-18

・藤原道長愛人説を否定しつつ『紫式部日記』の和泉式部評を等閑視するバカチン国文学者ヾ(`◇´)ノ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-02-11

・池田亀鑑、阿部秋生、秋山虔などの一流の研究者をも狂わす紫式部は魔性の女かもねヒィィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-11-22