探し求めていた古本が昨日ついに出品され、明朝まで売れ残りますよーに!と呪いをかけたわけだが、
明朝=今日になれば楽天カードで2倍になるという算段だったのさ(⌒~⌒) 当該本は(同じシリーズ
の他の3冊が古本屋の100均やブックオフの108円で手に入ったように)110円でゲット出来そうなのに、
昨日出品されたのは560円と高値が付けられていたため、一晩で値が下りますよーに!という呪いも
かけていたψ(*`ー´)ψヶヶヶ... 当該出品者は同時にAmazonにも出品してたので最安値となるべく
他の出品者と値下げ競争に入ると見込んだのさウキウキ♪o(^-^ o )(o ^-^)oワクワク♪ で、今朝、見たら、
値下げされてたよキタ━━━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━━━!!!! キタヨキタヨヽ(゚∀゚=゚∀゚)ノキチャッタヨ-!!!!!!
みどりんの呪い、どーよ!オホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)ヾ( ̄o ̄;)下がったの1円! 手品先輩か(-ω-、)

【一昨日買った本&読んだ本】

品川和子(全訳注)『土佐日記』(講談社学術文庫,1983)

街外れのブックオフにも無いので、16日夕方Amazon出品者「リサイクル商品在宅買取【りもったい】
(株式会社シガースタイル)」に258(102+配送料等257-ギフト券101)円で注文し18日昼に到着(^^)
「コンディション: 中古品 - 可 - ■ご注文通知から1営業日以内に発送。■水ヌレ、ヨゴレ、キズ
防止の為、エアキャップまたはクッション封筒に入れて発送いたします。■万が一、こちらの商品説明
及びガイドラインで認められている範囲以外に不良点がございましたら送料及び商品代金を全額返金
いたします。■商品の状態 【カバー】一部にヤケあり。経年による強いキズ・ヨゴレあり。【本体】
カキコミなし。経年による強いキズ・ヨゴレあり。小口に強いキズ・ヨゴレあり。【付属品の不足】
問題なし。」という説明文だったが、原所有者が表紙を折り曲げて読んでたらしく表紙カヴァーにも
折れが残っているぐらいで、「可」というよりも「良い」でもいいかとヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪
ちなみに、包装はビニールでプチプチとかは入ってないし、「クッション封筒」じゃなかった(^_^;)

金欠なので「可」でも仕方ないと思って、Amazonマケプレで探してたんだけど、一番気になったのは
某出品者の説明文に「正誤表の紙が見返しに張り付けてあります」とあったことね( ̄◇ ̄;)マジッ!?
しかも、その出品者はソレが第何刷なのか明らかにしてない(ノ ̄皿 ̄)ノナンデヤネン!┫:・’.::
図書館で借りて読んでたのは第8刷(1991年3月15日発行)だが、82頁に『伊勢物語』が「八十三段」
とあるのは「八十二段」の誤りと気付いた(1997年10月20日発行の第14刷が届いたが、「八十二段」
と直ってた)(@_@;) 88頁の「三組の対句的表現」も「二組の対句的表現」の誤植と思うんだけど、
第14刷では直ってない(@_@;) 未だに修正されてない誤りが他にも存在するのか気になる(@_@;)

萩谷朴『紫式部の蛇足 貫之の勇み足』(新潮選書,2000)に取り掛かるためのレディネスとして本書
と(一昨日取り上げた)木村正中(校注)『新潮日本古典集成 土佐日記 貫之集』(新潮社,1988)を
図書館で借りて併読してたんだけど、本書および木村・前掲書の『土佐日記』の部分は読了(^o^)丿

一昨日にも指摘したけど、本書は〈注〉と〈参考〉がメチャ充実してるヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪
『土佐日記』で記述されている場所が現在の何処の地に当たるのかについての歴史地理学的考察は、
竹村義一『土佐日記の地理的研究 土佐国篇』(1977年)や鹿持雅澄『土佐日記地理弁』(1857年)の
当該記述を丸々と引用・紹介してくれてるから、本書には資料集的価値もあると思う( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

『土佐日記』は仮名日記(その祖として文学史的に重要)あるいは紀行文という枠で単純に割り切る
には余りある複雑さがあることは本書の巻末「解説 『土佐日記』 その世界と作者」も指摘( ̄◇ ̄;)

    ・・・/ところで、『土佐日記』については、女性仮託の問題をはじめとして、
    その虚構性、俳諧性、自照性、諷刺性、あるいは作者の官人意識、氏族意識、流人意識、
    あるいは、ところどころで見え隠れする作者の歌人としての歌論の問題等、さまざまな
    視点からの指摘がなされている。/・・・

その歌論展開や社会風刺の側面は萩谷・前掲書で事前に聞きかじっていたから、ははーん、アレね!
と思いつつ読み進められたが、氏族意識その他は本書の〈注〉と〈参考〉から教わったv( ̄∇ ̄)ニヤッ

例えば、『土佐日記』の「虚構性」( ← この語を初めて用いたのは萩谷朴の由)について言えば、
1月8日の夜に土佐国の「大湊」で月が海に入るのを見て、「山の端逃げて入れずもあらなむ」という
在原業平の歌の下句を挙げて(氏族意識に関連)、色々と想念を走らせ、歌を詠む場面があるけど、

    ・・・山の端に入る月と海の水平線に入ると対比させているわけであるが、
    現代の専門家による計算では当時の大湊(前浜)から海に入る月を見る
    ということはあり得ないということである。・・・

ただ、その根拠となる文献として竹村義一の論稿を本書は引いているが、コレを最初に指摘したのは
萩谷朴『土佐日記全注釈』(1967年)だったみたいだね(^_^;) 念のため言えば、本書は多くの場面で
萩谷朴の同書の解釈や指摘を引いているし、同書が『土佐日記』の注釈書として一番詳しそう(^_^;)

なお、木村・前掲書の新装版のAmazonレヴューに〈「土佐日記」でいちばん読む者の胸を打つのは、
京で生まれ、土佐で亡くした女児の記述である〉と書き込んでる人いるけど、本書には、

    ・・・最近は、この愛児を失ったことまでを虚構とみる説もある。・・・

とあるし、同説は木村・前掲書の巻末「解説」も紹介してた(^_^;) 『土佐日記』は奥が深いよ(^_^;)

本書の〈注〉や〈参考〉で言及・引用されてる和歌については、『古今和歌集』『後撰和歌集』など
なるべく手元の各注釈書に当たったけど、一番言及・引用されてたのは何故か『万葉集』の歌(゚ロ゚;)
本書も後半に入ったところで、「・・・/本注釈では執拗なまで語彙・語句その他の類似を『万葉集』
に求めているが、・・・」と出てきて笑っちゃったけど、この一文は「・・・万葉から古今への推移が
この段にはみられ、貫之自身、古代(上代)への懐古と同時に決別という意識を抱いて、ここでこの
ような書き分けを行っているのではなかろうか。」と続いて、大変興味深い指摘だったヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
その「書き分け」とは、『万葉集』的な「忘れ貝」と『古今集』的な「忘れ草」のこと( ̄◇ ̄;)

    ・・・『古今集』ではまったく棄て去られている「忘れ貝」が古今撰者であった
    貫之の晩年の作[『土佐日記』で詠まれた歌]にみられるのは興味深い事実である。
    ・・・すなわち、万葉の世界では「住の江」の景物であった「恋忘れ貝」が
    古今の世界では「忘れ草」「恋忘れ草」に変容するのである。/この四日の記事では
    「忘れ貝」は歌枕の景物として詠まれているわけではない。翌五日に舞台は
    和泉の灘から小津の泊・石津を経て住吉に移り、ここでは「忘れ草」が詠まれている。
    ・・・『古今集』では取り捨てられた歌語「忘れ貝」が、この四日においては
    歌枕とは無関係に詠み上げられていることに注目したい。・・・

要するに、巻末の「解説 『土佐日記』 その世界と作者」から引いとく〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・四日に詠まれた「忘れ貝」が五日では「忘れ草」となっていて、
    万葉から古今への推移がうかがわれるのも、貫之の意識的な試みに
    よるものであろうか。/・・・

鳥のツルは古今時代の和歌では歌語「たづ(田鶴)」を用いるのに、「あれほど『古今集』で言葉の
撰択に厳しい貫之」が『土佐日記』の歌では「鶴」という語を用いてて、家集の歌にも「鶴」を用い
ているのがあると指摘し(この指摘は貫之集も収録してるのに木村・前掲書には無かった)、考察を
加えてたりするなど、本書を読んだら、木村・前掲書なんかスカスカな内容で物足りないかと(^_^;)

[追記191023]

1997年10月20日発行の第14刷だが、184頁の〈「もがな」は、一月九日の条参照。〉は十一日の誤り(..)