まだ心の片隅ではリーマンショック級の出来事が起こって消費増税は延期されるんじゃないかと(-ω-、)
今日は10時には32度に∑( ̄ロ ̄|||)にゃんと!? 昼過ぎに33度となり、ヤル気なし(ノ`△´)ノ ┫:・'∵

【読んだ本】

杉森久英『錆びたサーベル 日露戦争秘史、明石元二郎伝』(集英社文庫,1980)所蔵本

読了(^o^)丿 ペテルブルグ行きの汽車に乗ろうとホームを歩く男の前を急ぎ足で歩く女(⌒~⌒) 女を
追い越そうとした時、乗るべき車両の昇降口に着き、女も同じ車両だったので、男は女に先を譲る(^^)
その美女は連れもないらしく、ラッキーとばかりに男は同じ車室に入り、彼女の旅行カバンを網棚に
あげてやり、隣に座る(⌒~⌒) 「日本の軍人さんね?」「ウイ、お嬢さん」「フランス語、お出来に
なるのね?」と会話が始まり、彼女は子供の頃にヨコハマにいたとして盛り上がるも、「・・・それが
日本の駐在武官さんの御意見なのね」「おや、僕が公使館付武官だということを御存じなのですか?」
「よく存じておりますわ、明石中佐さん」「僕の名前も……」・・・この導入は良かったな(〃'∇'〃)
その後も彼女は何回か登場するんだけど、韓国や台湾でも出して欲しかったな(^_^;)ヾ(-_-;)オイオイ...

    ・・・/しかし、明石の心はいつも寂寥にとざされている。それは参謀本部によって
    編纂された公式の日露戦史に、彼の名が一カ所も見当らないことである。戦時中の彼を
    知っている者は、君の功績は絶大なものだと賞讃する。しかし、彼の同輩、友人が
    満州の戦野に赫々たる武名を謳われているとき、彼は日本人の国籍さえくらまして、
    ヨーロッパで地下生活を送っていた。スパイとか間諜とかいう語が泥棒の同義語として
    通用していたころの日本陸軍が、そういう者の名を公式の戦史に記録するはずがない
    のである。明石は自分がどこへいっても、日露戦争に関するかぎり、日蔭の存在だと
    いうことを自覚しないでいられなかった。/また、彼の名前が、ロシア革命の歴史に
    記録されることもないだろう。歴史の記述者は、革命の輝かしい勝利は、人民の意志に
    よって、みずからの手でかち得られたもので、得体の知れない外国人の援助に、よる所が
    多かったなどとは、根も葉もない作りごとだというだろう。明石元二郎という名前を
    持ち出せば、知らないはずのない男でも、人の前では、そんな男には会ったこともなく、
    聞いたこともないというだろう。つまり彼の名は、ロシア側の公式の歴史にも
    登場することはないだろう。彼はどこまでも日蔭の人物でしかないだろう。/・・・
   
本書は明石元二郎による日露戦争中のヨーロッパでの後方攪乱(反政府活動や革命運動への援助)を
辟易するほど詳述してるが、wikiの「明石元二郎」は、その成果など怪しいという研究も紹介(^_^;)
他方で、wikiが一行しか書いていない韓国での憲兵隊司令官としての活動も本書は詳述してて、その
「憲兵隊に韓国人を採用する」とか凄いね( ̄◇ ̄;) 台湾総督としての活動はwikiの方が詳しい^_^;
表題は「彼は元来、身のまわりのことをキチンと整えることが大きらいで、軍服のボタンがちぎれても、
靴が泥だらけでも、平気であるきまわる男だった。/サーベルの鞘は、めったに磨かないので、いつも
錆びていた。」との記述に由来するんだろうけど、深い意味があるのかも〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ