大安ゆえ満を持して2019年お年玉付年賀はがきの当せん番号チェックしたら、3等お年玉切手シートが
3枚当たったv( ̄∇ ̄)ニヤッ 郵便局には明日行って引換えてもらうけど、番号がハズレに変わらないよう
呪文を吹きかけといた魔法少女みどりんオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)ヾ( ̄o ̄;)オイオイなら1等に変えてみろ!
でも、お年玉切手シートの切手は使い途に困るから、フツーの切手に引換えてくれると嬉しい(-ω-、)
さて、我慢できず、Amazonの方は古本を注文(^_^;) 三重県にしようか神奈川県にしようか二転三転も、
結局どちらでもなく、『百人一首』の歌の作者の中でも知名度の無さでは多分トップ争いをしそうな
某歌人の家集の注釈書にウキウキ♪o(^-^ o )(o ^-^)oワクワク♪ 誰のことか判ったら特製お年玉座布団^_^;

【読んだ本】

清水好子『王朝女流歌人抄』(新潮社,1992)所蔵本

本書中の一篇「伊勢」を読了(^^) 今年読了本でベスト5に入る秋山虔『王朝の歌人5 伊勢』(集英社,
1985)(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-07-01 )に続けて、伊勢タンの
評伝&和歌の解説を読んだわけだけど、分量的にも60頁余あるので、かなり読み応えがあった(^_^;)

秋山虔・前掲書と違って、本書は各論点での学説状況には触れず、清水好子は自説だけ綴ってるので、
歯切れの良い叙述だけど、ミスリードされる危険があるからね(^_^;) ただ、非常に啓蒙的だし、また
インスパイアされる叙述も(^^) 啓蒙的な記述の一例を挙げとくけど、[ ]内のルビはママね(^_^;)

    ・・・/『伊勢集』のような個人歌集を『古今和歌集』などの撰集に対して、
    当時は家集[いえのしゅう]と呼んでいた。現在では私家集[しかしゅう]と
    言っている。・・・

家集『伊勢集』冒頭部の物語的歌群(伊勢日記)に基づく伊勢の半生がメインで、他に『伊勢集』の
中宮温子が東宮の女御と呼ばれていた頃の物語屛風歌の読み解きや『大和物語』147段の生田川伝説の
物語絵を伊勢タンなど女房達が詠んだ歌の紹介という内容ゆえ、犬養廉&後藤祥子&平野由紀子(校注)
『新日本古典文学大系28 平安私家集』(岩波書店,1994)や片桐洋一&福井貞助&高橋正治&清水好子
(校注・訳)『新編日本古典文学全集12 竹取物語 伊勢物語大和物語 平中物語』(小学館,1994)等
の注釈書を随時参照した(^^) 新体系では「男」が詠んだとする歌を本書は「女」の詠歌と解してたり、
歌の訳が新体系と全集のそれぞれの訳と違っていたりして、小生には判断しかねるものもあったけど、
伊勢タンの秀歌「三輪の山いかに待ち見む年経ともたづぬる人もあらじと思へば」の解釈に関しては、
『古今和歌集』の各注釈書も参照すると、新体系の平野由紀子の訳が違ってて本書の訳が正しそう^_^;

上記の物語屛風歌の読み解きは、紙幅の関係で不利な新体系の『伊勢集』で読むよりも断然面白い(^^)

    ・・・/伊勢は、男の歌を、

      見し人に又もや逢ふと梅の花

       咲きしあたりをゆかぬ日ぞなき

    とした。「見し人」とまず詠み上げたところが屛風歌のコツをよく押えている。
    「見し人」とは、前に逢ったことのある人、の意で、後の物語や歌ではほとんどが、
    前に契りを結んだ人、つまり夫や妻、恋人を指す。しかし、ここは女の返歌や
    あとあとの歌から、簾の隙間などからちらりと顔を見たと解すべきであろう。
    女の顔を見るのも容易でない時代だった(そんなふうになったのはいつごろからか、
    と又暮し方への探索心が湧く)。/第一扇の絵は、この初句でたちまち過去を持ち
    奥行きを深めた。描かれざる過去がこの絵にはあるのだ。『源氏物語』で、藤壺が
    「もう二度とこんな過ちはしないつもりだったのに」(若紫巻)と後悔しいてるのに、
    その第一回めの光源氏との逢瀬がどこにも書いてない、と後代の読者は気に病んたが、
    それは伊勢のころからの物語の方法だったのだ。/「見し人に又もや逢ふと」とは、
    あの人にもう一度逢えようかというのだから、かなり重い言葉で、ひょっとすると
    ただ顔を見ただけではなくて、一夜の契りだったのかもしれない。そんなことを
    はじめは考えてよい。あれこれ思うのが愉しみなのだから。いずれにしろ、それは
    偶然の出逢いで、男は女の素性を知らないのだ。ただ頼りになるのは梅の花だけ。
    梅の花の匂いに誘われて垣間見た夜の出来事だったのかもしれない。男は、女を忘れがたく、
    目印の「梅の花咲きしあたり」を、「ゆかぬ日ぞなき」。毎日捜し歩きました、
    今日とうとう尋ね当てました、と誠意を披瀝する。・・・

梅の花・・・湯葉が食べたい・・ヘ(__ヘ)☆\(^^; この引用文の中に「又暮し方への探索心が湧く」と
あるように、「探索心が湧く」=インスパイアされるような「暮し方」についての指摘も前にあり(^^) 

・清少納言は晩年に零落したという説話が刷り込まれているらしく、清水好子は和歌の解釈まで(゚ロ゚;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-06-16