長~い連休が明けてモチヴェーションが未だに回復しない人々にとって週末を迎えたのは福音かな(^_^;)
ある特定分野の大学を目指す浪人生向け予備校の講師をしてた昔の話だけど、怪しげなオーナーの誕生日
プレゼント代として某月の給与が勝手に天引きされていたのには吃驚( ̄◇ ̄;) ブラック予備校(@_@;)
今日25度を軽く超えたかヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 昨夜のトラブルで2時間しか寝てなく、よく分らんけど(-ω-、)

【読んだ本】

安良岡康作(訳注)『現代語訳対照 徒然草』(旺文社文庫,1971)所蔵本

いかにもWikipediaらしくて、バカチンを進呈する気にもならなかった「源顕基」の項から引く(-ω-、)

    『十訓抄』には、後一条天皇が崩御した際に顕基は、「忠臣二君に仕えず」として
    出家してしまったという逸話がある。また、『徒然草』によれば
    顕基は無罪ながら流罪にされたという。

『徒然草』なんか何種類も現代語訳が出ているはずだが、その第五段を本書の現代語訳で引く(-ω-、)

    ・・・/顕基の中納言が、「配所の月を罪なくて見たい」と言ったということであるが、
    なるほど、そのようにも思われることであろう。

「忠臣二君に仕えず」と出家した逸話は、たしかに『十訓抄』の六ノ十一話にあるが、その九ノ四話を
浅見和彦(校注・訳)『新編 日本古典文学全集51 十訓抄』(小学館,1997)の現代語訳で引く(-ω-、)

    ・・・/源顕基中納言が、「無実の罪を着せられて、流された国にあって、
    月を眺めていたいものだ」と常々おっしゃっていたのとは、[藤原誠信の方は]
    まったく異なり、その反対の話である。・・・

以上のことから、wikiの「源顕基」の項の執筆者は、『徒然草』の当該箇所も読まずにデタラメなこと
を書いただけではなく、実は『十訓抄』も読まずに知ったかぶりして書いてたことも判るわけ(-ω-、)

このwiki記述は実は『徒然草』『十訓抄』だけでなく他の古典作品も読んでいないことも示す(-ω-、)
なぜなら、〈罪なくして配所の月を眺めたい〉という源顕基の言葉は『徒然草』『十訓抄』だけでなく、
実は多くの古典作品に出てくる有名なものだからである(-ω-、)

杉本圭三郎(全訳注)『平家物語(三)』(講談社学術文庫,1982)の章段「大臣流罪」の現代語訳の

    ・・・もともと、罪なくして配所の月を見たい、ということは、風雅の心を
    もつほどの人の願うところであるから、・・・

という件の原文「つみなくして、配所の月をみん」の〈語釈〉の次の説明からも、ソレは判る(-ω-、)

    中納言源顕基の言葉として、『古事談』『江談抄』『十訓抄』『発心集』などに
    伝えられ、『徒然草』第五段にも「顕基中納言のいひけん、配所の月罪なくて見ん事
    さも覚えぬべし」とある。・・・

西行の著書と言われてきたが、実は偽書である『撰集抄』でも「巻四 第五話 顕基卿事」に出てきてて、
安田孝子&梅野きみ子&野崎典子&河野啓子&森瀬代士枝(校注)『撰集抄 上』(現代思潮新社,2006)
の頭注の訳(かなり意訳)を引く(-ω-、)

    都から遠く離れた流罪の地において、清らかな月を、無実の身でゆったりと眺めたい。    

故に、このwiki執筆者は教養がなく、風雅の人とされた源顕基を書くのには相応しくない輩か(-ω-、)

wikiの記述を信頼して引用している人も世の中には存在する中で、このように調べたり読んだりせずに
書くことは社会に害悪を垂れ流す迷惑行為(-ω-、) 知ったかぶりもすぐに底が割れるものだ(-ω-、)

読まずに書くといえば、本文が超長い日などは冒頭の枕しか読まずにコメされても仕方がない(-ω-、)
だが、昨日の本文は短く、もし昨日の枕&本文と「続きは」という〆を踏まえた上でのコメだったら、
図書館の本の上巻に下巻の内容を暴露した落書きをするのと同類(-ω-、) 次回記事のネタが判っても、
黙っているのがマナーであり、翌日その通りだったと心の中で喝采を叫ぶだけでは不満なのか(-ω-、)
枕だけしか読まずに書き込んだコメだったとしたら、本文を読まずに書くことが大事を惹き起こすこと、
少なくとも小生には迷惑(ネタバレ)であることに気付くべきだろう(-ω-、) 藤原行成に焦点を当てた
記事を予定してたけどメインの文献をネタバレされちゃったから、昨日の記事の続きはボツに(-ω-、)

では、本題に入りまーす(^o^)丿ヾ( ̄o ̄;)オイオイ ここまではニャンだったんだ!? 藤原清輔の歌学書
『袋草紙』も、源顕基について〈また常に云はく、「配所にて月を見ばや」と云々。〉と記していて、
藤岡忠美(校注)『新 日本古典文学大系 29 袋草紙』(岩波書店,1995)は次のような脚注(⌒~⌒)

    ・・・顕基が無実の罪に[ママ]流された地で月を見たいという想いは、
    流離流浪をあこがれる一種の風流心に通ずるであろう。

「流離流浪」は在原業平のイメージかしら(@_@;) 「無実の罪」で「流された」という点で菅原道真
なのかな(@_@;) 源顕基の父は一条朝の四納言の一人である源俊賢なんだけど、祖父は源高明であり、
「安和の変」という藤原氏の陰謀で大宰府へ左遷されたから、源高明をイメージしてたりして( ̄◇ ̄;)
しかし、無実の罪で流されたら、心穏やかではいられず、月も「清らか」どころか赤く見えそう(^_^;)