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190511読んだ本

白紙答案を出すぐらいなら校歌でも書いとけば単位もらえるかもと教わった世代ゆえスルー推奨m(__)m
と2年前の枕に書いてたが、そーゆー読む価値が無い内容の日もあったのさ( ̄^ ̄)エヘンヾ(-_-;)イバルコトカ?
校歌を書けば単位がもらえるとの噂があった教授は異常なまでの愛校心の持ち主だからと思ってた(..)
階段の上から答案用紙をばらまくと記述量が多い答案ほど重さで下の方に落ちるため下の方の答案から
優をつけていくとの噂もあったし、校歌を書けば白紙答案よりは下の方に落ちるということかも(゚ロ゚;)
今日も朝10時には駅前が25度に達していて、外出はTシャツ1枚で充分と思えるほどの暑さだった(+_+)

【読んだ本】

竹鼻績(全訳注)『今鏡(上)』(講談社学術文庫,1984)所蔵本

〈罪なくして配所の月を眺めたい〉として有名な源顕基の逸話に関して、Wikipediaにデタラメな記述が
あると昨日指摘(´・_・`) その執筆者を、風雅な人として知られてた源顕基を書くには相応しくない輩と
断じた理由として、古典に通じてないという教養(体系化された知識の総体)の問題を挙げたが、更に、
情趣を解せないというセンスの問題もあるかと(^_^;)

    『十訓抄』には、後一条天皇が崩御した際に顕基は、「忠臣二君に仕えず」として
    出家してしまったという逸話がある。

このwikiの「源顕基」の項の記述は、『十訓抄』の六ノ十一話に拠ったようだが(wikiには何話なのか
典拠が示されてない)、浅見和彦(校注・訳)『新編 日本古典文学全集51 十訓抄』(小学館,1997)に
よる現代語訳を引く( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

    中納言源顕基卿は後一条天皇にたいそうお目をかけられていた寵臣であった。
    若い時より官位についてはまったく不満とするようなところはなかった。
    帝が先にお亡くなりになった時、「忠臣は二人の君には仕えない」と言って、
    比叡山の横川の首楞厳院にのぼり、髪を下ろしてしまった。帝が亡くなられた夜、
    火を灯していなかったので、「どうしたのだ」とたずねたところ、「主殿司
    [宮中の清掃・燭火を担当]は新しい帝[後朱雀天皇]の行幸にたずさわっており、
    こちらには参上しておりません」という返事を聞いて、出家しようという気持ちは
    強くなったといわれている。/・・・

wiki執筆者は「忠臣は二君に仕えず」という部分のみチョイスして紹介してるわけだが、そのセンスは
風雅な人とされる源顕基の人となりを充分に伝えてて評価に値すると言えるのだろうかC= (-。- ) フゥー

『今鏡』も出家に至った経緯を紹介しているので本書の現代語訳から引く○ o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    [彰子との贈答歌の逸話の後]その顕基の中納言は、後一条院の御信任の厚かった方で
    いらっしゃったが、後一条院崩御の喪に御所においでになってみると、殿中に御燈火も
    ともし申しあげないありさまでしたので、/「どうしたのか」と尋ねなさったところ、
    「女官たちが新帝の所に参上して、燈火をともす人もいません」など(というのを)
    お聞きになさるにつけ、まことに悲しくて、帝が崩御なさって六日目だというのに、
    髪をおろして、(大原の)山深くひきこもりなさってしまいました。御年は三十七歳で
    いらっしゃいました。このことを聞いた人は涙を流さないということはありませんでした。
    花山僧正[僧正遍昭]が、仁明天皇の喪中に髪をおろしなさったというのにも劣らない
    お志でありましょう。/・・・

「殿中」(原文は「宮のうち」)に〈宮中。『続本朝往生伝』には、「梓宮」すなわち、棺[ひつぎ]
に燈火を供えてなかったとある。〉という〈語釈〉があり、そちらの方がヨリ切なく感じられる(;_;)

『今鏡』に「忠臣は二君に仕えず」の逸話が出ていないように、灯火の逸話の方がいいと思う( ̄^ ̄)

タグ:説話 歴史
コメント(14) 
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コメント 14

ニッキー

灯火の逸話、悲しみが伝わってきますねぇ( T_T)
「忠臣は二君に仕えず」はよく使われる言葉だから
「ふ〜ん・・・当然なことだよね」で終わってしまいそう(⌒-⌒; )
今日は暑かったですねぇ(*_*)
明日は大会だけど今日くらい暑かったら・・・(´・_・`)
by ニッキー (2019-05-11 21:32) 

middrinn

二君に仕えずは武士っぽくて(^_^;) 源姓ですけど貴族ですから(^_^;)
書き忘れましたけど、はまぐりマラソン、ディフェンディング・チャンプ
として連覇して下さ~い(^o^)丿 水着で飛び込んじゃったりして(^_^;)
by middrinn (2019-05-11 21:36) 

ネオ・アッキー

middrinnさんこんばんは。
大部遅くなってしまいましたが、本を紹介して下さってありがとう御座いました。
最近、やっと、青空文庫で読むことが出来ました。
横光利一とパリーの同じ場所(お店等)を訪れていたとは、興味深い内容で、短時間で読み終えました。
by ネオ・アッキー (2019-05-11 21:48) 

middrinn

無理矢理お礼を言わせてしまって、ホント小生は嫌なヤツですねぇ(^_^;)
岡本太郎に関する断片的な記述でしかなく、その点もごめんなさいm(__)m
by middrinn (2019-05-11 21:57) 

ナベちはる

25℃もあると、半そででも問題なく過ごせますよね。
それでも未だに雨が降ったりすると寒くなるので、いつになったら安定するのだろうなぁと思います(;`・_・´)
by ナベちはる (2019-05-12 01:13) 

middrinn

ですよねぇ(^_^;) にわか雨ありという天気予報
が毎日続いているので油断できないです(^_^;)
by middrinn (2019-05-12 06:51) 

Rifle

ほぅ、白紙答案より校歌が効果有、と。階段から撒く話はよく聞きましたけど、拙者の頃は既にそういうのはありませんでしたよ(理系だったしね^^;)。
二君に使えずと言う心映えは、寵愛の大きさだけでなく、崩御後にもかなり影響されているのかも?と思わせるような逸話ですねー。
by Rifle (2019-05-12 09:04) 

middrinn

文系で、論述式の一行問題が多く、答案おかわりが褒められる学部でした(^_^;)
忙しくて仕方がなかったのでしょうが、崩御後の扱いに空しさを感じたのかも(..)
by middrinn (2019-05-12 09:23) 

横 濱男

毎日暑くて、15時頃までは外に出ないようにしてます。
涼しい夕方に自転車散歩です。
by 横 濱男 (2019-05-12 11:05) 

たじまーる

某武道系の特待生が名前を書けば学校の試験が通る話は
某武道系の監督様より聞いたことがあります。
それと入学試験で名前だけ記入すれば合格出来る高校が
私がまだ中学三年生のころに県内に存在してました。


by たじまーる (2019-05-12 11:53) 

middrinn

午前中に街の図書館から歩いて山を越えて帰宅し、
グロッキー状態(+_+) 午後にも歩く予定が(T_T)
横 濱男様のように、夕方がいいですねぇ(^_^;)
by middrinn (2019-05-12 11:55) 

middrinn

スポーツでの特待生の入学試験にあるあるな話ですが、
たじまーる様、もしかしたら名前を漢字で書くことが、
当人にとっては入試問題を解くより難しかったり^_^;
by middrinn (2019-05-12 11:59) 

tai-yama

論文ネタはカレーの作り方だったかな(笑)。
"中納言源顕基卿は御一条天皇" 後が・・・・
「忠臣は二人の君には仕えない」は江戸時代っぽいかな?と思ったり。

by tai-yama (2019-05-12 23:35) 

middrinn

ありましたねぇ(^_^;) カレーの作り方を
答案に延々と書くという(^_^;) たしかに、
武士道の匂いがプンプンしますよね(^_^;)
by middrinn (2019-05-13 05:48) 

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