昨日早朝に注文した後で獲得予定ポイントには表示されていなかったポイントがドカーンと付与されて
利用可能ポイントが2200pぐらいまで達したから、4400円の本も注文しちゃおうかと誘惑に駆られたけど
我慢したヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪ 今日も探してた古今集注釈書がブックオフにあるも800円台ゆえ
スルーしたし、ブックオフを出ると先日の猫さんが居たけど撮るだけで愛でるのは我慢したぞ(⌒~⌒)
【買った本&読んだ本】
上宇都ゆりほ『コレクション日本歌人選047 源平の武将歌人』(笠間書院,2012)
楽天ブックスで新品1296円を175p使って1121円で昨日注文(^_^;) 前にも取り上げた本書だが、巻末の
上宇都ゆりほの〈超越する和歌──「武者[むさ]ノ世」に継承された共同体意識〉と題した解説は、
平家の公卿たちが和歌を詠むのは、平家が貴族化したためであると広く信じられているが、
これまで述べてきたように、それは幾重にも間違った解釈である。
従って、実朝は京の貴族への憧憬が強かったために和歌をよく詠んだという説も
同様に誤りである。
といった感じで、バカチン連発する小生が言うのもなんだが、かなり刺激的な書き振りではある(^_^;)
ところで、『平家物語』の巻第一の「御輿振」の章段で源三位頼政が意外にも智将振りを発揮( ̄◇ ̄;)
また、頼政の歌人としての評価は当時は高かったとはいえ、杉本圭三郎(全訳注)『平家物語(一)』
(講談社学術文庫,1979)の「御輿振」の中の一節を、その〈現代語訳〉で引く(@_@;)
・・・武芸の達者であるばかりか、歌道においてもすぐれている。近衛院が御在位の時、
当座の歌会があったが、深山花[しんざんのはな]という題が出されたのを、
人々は詠み得ず、苦吟していたのに、この頼政卿は、
深山木[みやまぎ]のその梢とも見えざりしさくらは花にあらはれにけり
(茂りあう深山の木は、いずれが何の木の梢ともわからなかったが、
桜の花ひらいて、それと知ることができた)
という名歌を詠まれて、近衛院のおほめをうけたほどの優雅な男・・・
同書の〈語釈〉では〈『詞花集』春、に「題しらず・源頼政」として載せている。〉と解説するだけで、
勅撰集『詞花和歌集』の入集歌だから、いい歌なんだろうけど、それほどの「名歌」なのかなぁ(´・_・`)
市古貞次(校注・訳)『新編日本古典文学全集45 平家物語①』(小学館,1994)87頁は次のように訳し、
深山の木々の中でどれが桜の木の枝とも見分けがつかなかったが、
花が咲いてそれとわかった。
同書87頁の頭注一二も〈『詞花集』春に「題しらず」として出ている。〉と付言するだけだし(´ヘ`;)
梶原正昭&山下宏明(校注)『新日本古典文学大系44 平家物語 上』(岩波書店,1991)58頁脚注一五は
深山に生い茂る木々は多く、どれがその梢と見分けがつかなかったが、
桜の木だけ春の訪れとともに花を咲かせ。それと知ることができた。
頼政集、詞花集に採られる。
水原一(校注)『新潮日本古典集成 平家物語 上』(新潮社,1979)102頁の頭注一も次の通り(@_@;)
深山木のなかにあるとも見えなかった桜であるが、春がおとずれ花を咲かせて、
はじめてそれと知れたことだ。『詞花集』春の部に「題しらず」、『頼政集』に
「深山花といふ事を」として載る。
和歌の専門書として、川村晃生&柏木由夫&工藤重矩(校注)『新日本古典文学大系9 金葉和歌集 詞花
和歌集』(岩波書店,1989)も披いてみたが、
深山の繁った木々に埋れて、これがそれだとも見えなかった桜の梢は、花が咲いて、
その姿があらわれたことだ。▽「深く浅きもみぢ葉流る飛鳥河淵瀬は色にあらはれ
にけり」(林葉集)。
これが歌番号17の脚注全文である(-ω-、) これじゃ、初学者の小生には同歌を味わえない(ノ_-;)ハア…
では、本書の同歌の「口語訳」と(脚注にある引用歌の訳等を補って)「鑑賞」の一部を引く(⌒~⌒)
ここから遠い深山を眺めると、それが桜の梢だともわからなかったけれども、
桜の花が咲いた今、他の木々から際立ったその姿がまざまざと立ち現れたことであるよ。
この歌は、[頼政集の]詞書[=「同じ心を」(白河院にて人々花見し侍りしに)]から、
桜の花見においてうたわれた作品であることがわかるが、[『新勅撰和歌集』の]伊勢の
「深山木のかげの小草は我なれや露しげけれど知る人もなき」[=「深山の木陰に生える
小さな草は私自身でしょうか。露にびっしょり濡れているように、私も泣いていますが、
誰も知る人はいないことです。」]のように、深山の木々に埋もれてわからなかった桜を、
才能がありながら貴族社会の中で見出してもらえない、自らの姿に重ねて歌われたものと
受け取れる。景物に自らの境涯の不遇を重ねる手法は、頼政の和歌の特徴のひとつであり、
上の句の「埋もれる」状態と下の句の「現れる」ことの対比が、この作品を印象的なもの
としている。
紙幅があるから上記の各注釈書よりも恵まれているとはいえ、ナルホドと思わせますねぇv( ̄∇ ̄)ニヤッ
・杉本圭三郎は「『千載集』にはみえない」と記すが、ちゃんと千載集にあることは専門家も指摘(-"-)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-06-07
利用可能ポイントが2200pぐらいまで達したから、4400円の本も注文しちゃおうかと誘惑に駆られたけど
我慢したヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪ 今日も探してた古今集注釈書がブックオフにあるも800円台ゆえ
スルーしたし、ブックオフを出ると先日の猫さんが居たけど撮るだけで愛でるのは我慢したぞ(⌒~⌒)
【買った本&読んだ本】
上宇都ゆりほ『コレクション日本歌人選047 源平の武将歌人』(笠間書院,2012)
楽天ブックスで新品1296円を175p使って1121円で昨日注文(^_^;) 前にも取り上げた本書だが、巻末の
上宇都ゆりほの〈超越する和歌──「武者[むさ]ノ世」に継承された共同体意識〉と題した解説は、
平家の公卿たちが和歌を詠むのは、平家が貴族化したためであると広く信じられているが、
これまで述べてきたように、それは幾重にも間違った解釈である。
従って、実朝は京の貴族への憧憬が強かったために和歌をよく詠んだという説も
同様に誤りである。
といった感じで、バカチン連発する小生が言うのもなんだが、かなり刺激的な書き振りではある(^_^;)
ところで、『平家物語』の巻第一の「御輿振」の章段で源三位頼政が意外にも智将振りを発揮( ̄◇ ̄;)
また、頼政の歌人としての評価は当時は高かったとはいえ、杉本圭三郎(全訳注)『平家物語(一)』
(講談社学術文庫,1979)の「御輿振」の中の一節を、その〈現代語訳〉で引く(@_@;)
・・・武芸の達者であるばかりか、歌道においてもすぐれている。近衛院が御在位の時、
当座の歌会があったが、深山花[しんざんのはな]という題が出されたのを、
人々は詠み得ず、苦吟していたのに、この頼政卿は、
深山木[みやまぎ]のその梢とも見えざりしさくらは花にあらはれにけり
(茂りあう深山の木は、いずれが何の木の梢ともわからなかったが、
桜の花ひらいて、それと知ることができた)
という名歌を詠まれて、近衛院のおほめをうけたほどの優雅な男・・・
同書の〈語釈〉では〈『詞花集』春、に「題しらず・源頼政」として載せている。〉と解説するだけで、
勅撰集『詞花和歌集』の入集歌だから、いい歌なんだろうけど、それほどの「名歌」なのかなぁ(´・_・`)
市古貞次(校注・訳)『新編日本古典文学全集45 平家物語①』(小学館,1994)87頁は次のように訳し、
深山の木々の中でどれが桜の木の枝とも見分けがつかなかったが、
花が咲いてそれとわかった。
同書87頁の頭注一二も〈『詞花集』春に「題しらず」として出ている。〉と付言するだけだし(´ヘ`;)
梶原正昭&山下宏明(校注)『新日本古典文学大系44 平家物語 上』(岩波書店,1991)58頁脚注一五は
深山に生い茂る木々は多く、どれがその梢と見分けがつかなかったが、
桜の木だけ春の訪れとともに花を咲かせ。それと知ることができた。
頼政集、詞花集に採られる。
水原一(校注)『新潮日本古典集成 平家物語 上』(新潮社,1979)102頁の頭注一も次の通り(@_@;)
深山木のなかにあるとも見えなかった桜であるが、春がおとずれ花を咲かせて、
はじめてそれと知れたことだ。『詞花集』春の部に「題しらず」、『頼政集』に
「深山花といふ事を」として載る。
和歌の専門書として、川村晃生&柏木由夫&工藤重矩(校注)『新日本古典文学大系9 金葉和歌集 詞花
和歌集』(岩波書店,1989)も披いてみたが、
深山の繁った木々に埋れて、これがそれだとも見えなかった桜の梢は、花が咲いて、
その姿があらわれたことだ。▽「深く浅きもみぢ葉流る飛鳥河淵瀬は色にあらはれ
にけり」(林葉集)。
これが歌番号17の脚注全文である(-ω-、) これじゃ、初学者の小生には同歌を味わえない(ノ_-;)ハア…
では、本書の同歌の「口語訳」と(脚注にある引用歌の訳等を補って)「鑑賞」の一部を引く(⌒~⌒)
ここから遠い深山を眺めると、それが桜の梢だともわからなかったけれども、
桜の花が咲いた今、他の木々から際立ったその姿がまざまざと立ち現れたことであるよ。
この歌は、[頼政集の]詞書[=「同じ心を」(白河院にて人々花見し侍りしに)]から、
桜の花見においてうたわれた作品であることがわかるが、[『新勅撰和歌集』の]伊勢の
「深山木のかげの小草は我なれや露しげけれど知る人もなき」[=「深山の木陰に生える
小さな草は私自身でしょうか。露にびっしょり濡れているように、私も泣いていますが、
誰も知る人はいないことです。」]のように、深山の木々に埋もれてわからなかった桜を、
才能がありながら貴族社会の中で見出してもらえない、自らの姿に重ねて歌われたものと
受け取れる。景物に自らの境涯の不遇を重ねる手法は、頼政の和歌の特徴のひとつであり、
上の句の「埋もれる」状態と下の句の「現れる」ことの対比が、この作品を印象的なもの
としている。
紙幅があるから上記の各注釈書よりも恵まれているとはいえ、ナルホドと思わせますねぇv( ̄∇ ̄)ニヤッ
・杉本圭三郎は「『千載集』にはみえない」と記すが、ちゃんと千載集にあることは専門家も指摘(-"-)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-06-07