財布から1月末期限のブックオフ1割引券が出てきて涙(T_T) 節約生活だから使えなかったけどね(-ω-、)
Tポイントもズバトク毎日くじで期間固定ポイントが当たるけど有効期限が切れてしまう状況(´ヘ`;)

【読んだ本】

宮崎莊平(全訳注)『紫式部日記(下)』(講談社学術文庫,2002)

紫式部が清少納言のことを『紫式部日記』で酷評しているのは有名(´・_・`) だけど、『紫式部日記』は
清少納言以外の人物についても批評しているのに、それらの人物評は問題視されてない感じが(@_@;)
紫式部によるそれらの人物評価が的外れなら、紫式部の眼識が疑われることになり、その清少納言評も
怪しくなるはずだから、清少納言以外の人物評の当否を検討すべきだと小生は思うわけですよ(´・_・`)

『紫式部日記』で気になった月旦評の1つを本書の117~118頁の〈現代語訳〉から引いてみる(@_@;)

    和泉式部という人は、実に趣深い(手紙を)やりとりしたものです。しかし、和泉式部
    には感心しない面があるものの、気軽に手紙をすらすらと書いた時に、その筋の才能を
    発揮する人で、ちょっとした表現にも色つやが見えるようです。和歌は、とても趣が
    あります。古歌の知識や詠作の理論などからすると、本格的な歌の詠みぶりとは言えない
    でしょうが、口にまかせて詠んだ歌などに、必ず魅力ある一点が、目にとまるものとして
    詠み込まれています。それでありながら、他人の詠んだ歌などを、非難したり批評したり
    するところからみると、さあそれほどには分かっておりますまい。口をついて自然に歌が
    詠み出されるのであろうと、思われるような詠風なのです。こちらが恥ずかしさを感じる
    ほどのすぐれた歌人とは思われません。

論点は幾つかあるんだけど、とりわけ最後の一文、天下の和泉式部をつかまえて、「すぐれた歌人とは
思われません」には吃驚仰天∑( ̄ロ ̄|||)にゃんと!? 紫式部よ、お前、何様のつもりだヾ(`◇´)ノ

この章節の〈解説〉は次の通りで(121~122頁)、この紫式部の人物評の当否には触れてない(@_@;)

    ・・・和泉式部は、紫式部にとって一時期同僚関係にあった人である。が、
    「けしからぬかた」として、感心しない倫理面に一言批判を加えるものの、
    多くは歌詠みとしての和泉に対する批判であり評価である。ここには、
    紫式部のなみなみでない歌における自信のほどが示されている。・・・

この「紫式部のなみなみでない歌における自信のほど」を裏付けるだけの歌人としての評価が紫式部に
客観的にあるのかどうかすら全く示していないところは、研究者として如何なものかと( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

藤岡忠美&中野幸一&犬養廉&石井文夫(校注・訳)『新編日本古典文学全集26 和泉式部日記 紫式部
日記 更級日記 讃岐典侍日記』(小学館,1994)の中野幸一による鑑賞・批評(202頁)も引く(@_@;)

    和泉式部、赤染衛門、清少納言についての月旦は、それぞれの個性を的確についており、
    同じ宮廷女房の同時代批評として価値あるものである。・・・

「こちらがきまり悪くなるほどのすばらしい歌人とは思われません。」(201頁)も「的確」かよ(゚ロ゚;) 

まともな古本屋の国文学の棚を見ると、古典は『万葉集』と『源氏物語』ばかりなんだよねぇ( ̄◇ ̄;)
古典の中で『万葉集』と並び『源氏物語』は人気だから紫式部を批判できない空気でもあるのか(@_@;)

使えぬと再三指摘(例えば、⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-08-31 )した
山本利達(校注)『新潮日本古典集成 紫式部日記 紫式部集』(新潮社,1980)89頁の頭注での解説は、
まだ良心的な方だった(⌒~⌒)

    和歌史の面からすると、当時は『古今集』以来の知的に趣向をこらした歌が尊ばれていた。
    ところが、和泉式部の歌は感情を素直に歌う新しい歌風であった。作者[=紫式部]は
    伝統的な歌をよしとする立場から和泉式部の歌を批評している。因みに、応徳三年
    (一〇八六)成立の『後拾遺集』には和泉式部の歌が最も多く選ばれ、六十七首も入集
    している。

ただ、和泉式部は(紫式部も「口をついて自然に歌が詠み出される」と批評しているように)「感情を
素直に歌う」歌が多いけど、同時に『後拾遺和歌集』にも選ばれた「津の国のこやとも人をいふべきに
ひまこそなけれ蘆の八重葺き」といった「『古今集』以来の知的に趣向をこらした」秀歌も詠んでいる
からね(^_^;) この歌を藤原公任が絶賛した話が伝わっていることは前に何度か書いてるよ(〃'∇'〃)
とまれ、同書の解説が、さり気な~く紫式部による和泉式部評に対する反駁を勅撰集に入集した歌の数
という客観的事実に基づいて行なっている点は評価すべきかと(^^) この程度の指摘もしない講談社学術
文庫版と小学館新編日本古典文学全集版の紫式部LOVEには辟易(ノ`m´)ノ ~┻┻ (/o\) ミドリン ヤメテー!!

では、両人の勅撰集に入った歌の数を見ると、藤岡忠美(校注)『新日本古典文学大系 29 袋草紙』
(岩波書店,1995)巻末「人名索引」だと、和泉式部は「『拾遺集』以下に247首入集。」なのに対し、
紫式部は「『後拾遺集』以下に62首入集。」で、島津忠夫訳注『新版 百人一首』(角川ソフィア文庫,
1999→2008新版16版)だと、和泉式部は「『拾遺集』以下の勅撰集に二百四十二首入集。」なのに対し、
紫式部は「『後拾遺集』以下の勅撰集に約六十首入集。」である(⌒~⌒) 御覧の通り、両者の間には
歌人としての評価に大きな差があるわけv( ̄∇ ̄)ニヤッ 島津・前掲書によれば、そもそも『百人一首』に
選ばれた21人の女性作者の中で勅撰集入集歌数は断トツの1位だし(伊勢が184首で2位)、男性作者でも
彼女よりも多いのは僅か8人、藤原定家(465首)、紀貫之(約452首)、藤原俊成(418首)、藤原良経
(319首)、藤原家隆(282首)、慈円(267首)、後鳥羽院(256首)、柿本人丸(248首)だけ(゚ロ゚;)

勿論、勅撰集に入集した歌の数が少なくても優れた歌人はいるから、入集歌の多寡だけで歌人としての
評価が決まるわけではないので、勅撰集『千載和歌集』の撰者で最近は息子の定家と並んで「歌聖」と
言われている藤原俊成が、「六百番歌合」の判詞で紫式部について言及・批評してるのを引く(⌒~⌒)

    紫式部、歌詠みの程よりも物書く筆は殊勝也。

コレは「源氏見ざる歌詠みは遺恨事也。」という超有名な一文の直前に出てくるフレーズなんだけど、
久保田淳&山口明穂(校注)『新日本古典文学大系38 六百番歌合』(岩波書店,1998)の脚注の訳は、
次の通りv( ̄∇ ̄)ニヤッ

    歌を詠むよりも物書く力が格段にすぐれている。

つまり、いくら『源氏物語』の文学的評価が髙かったとしても、その作者である紫式部が歌人としても
同じくらい優れているというわけではないということC= (-。- ) フゥー 和泉式部を「すぐれた歌人とは
思われません」だなんて、間違った月旦であり、紫式部は目利きに非ずヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

現実逃避してても提出締切が迫ってきたから、とりあえず答案を出してテーブルの上に置いた(-ω-、)