昨日の大雪による被害は玄関前に置いてるハナイカダの鉢の一部が根元からポキっ(;_;)といったことを
一年前の今日書いてたよ(´;ω;`)ウッ… こうやって毎日ブログを更新していれば、どうしても冒頭の
枕ネタが思い付かない時でも、過去のを使い回せるのよオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)ヾ( ̄o ̄;)オイオイ来年は?

【読んだ本】

藤岡忠美&中野幸一&犬養廉&石井文夫(校注・訳)『新編日本古典文学全集26 和泉式部日記 紫式部
                         日記 更級日記 讃岐典侍日記』(小学館,1994)

古典作品の現代語訳には、文法を重視し原文に忠実なあまり、直訳で読みにくいものが結構ある(´・_・`)

その点、犬養廉による『更級日記』の訳文(引いたのは本書279~280頁)は、チラッと読んだ限りでは、
読み易いかも(^^) 物語というものをなんとかして読んでみたいと憧れる少女(作者の菅原孝標女)は、
あの物語だの、この物語だの、周囲の大人たちが色々と話しているのを聞いて、
    
    私はもう、あまりのもどかしさに、薬師如来の等身像を造ってもらい、
    手を洗いきよめたりして、誰も見ていない隙にこっそりとその仏間にこもっては、
    「一刻も早く上京させ、都にはたくさんあるとか申しますその物語を、ありったけ
    お見せくださいませ」と、一心不乱にぬかずいてお祈り申しあげるのだった。

父・菅原孝標の上総介の任が終わって帰京するために一行が出発する場面は孝標女に萌え萌えキュ~ン♡
となる名シーンなわけだが、手元にある2冊の注釈書による訳は別に問題があるわけではない(⌒~⌒)

関根慶子(訳注)『更級日記(上)』(講談社学術文庫,1977)による現代語訳を先ずは引いてみる(^^)

    ・・・車に乗るというわけで、ふと見やったところが、人の見ない間には何度でも
    おそばに参って礼拝した薬師仏が立っていらっしゃる、それをお見すて申して
    そのまま行ってしまうのが悲しくて、人しれず泣けてきてしまった。

池田利夫(訳注)『現代語訳対照 更級日記』(旺文社文庫,1978)の現代語訳だと、次のような感じ(^^)

    ・・・車に乗るというので、目をやって(家の方を)見ていると、人目のない時に
    お参りし続け、額をすりつけて拝んだ薬師仏がお立ちになっているので、
    お見捨て申すのが悲しく、人知れずつい涙が出てしまう。

さてさて、小生が一読して気に入った、本書280頁の犬養廉による現代語訳は、次の通りである(⌒~⌒)

    ・・・車に乗ろうとして我が家の方を眺めてみると、今まで人のいない折には
    足しげくお参りして礼拝した、あの薬師如来がつくねんと立っておいでになる。
    それをお見捨て申しあげて旅立つのが悲しくて、私は人知れず泣かずにはいられなかった。

この訳文、感心したポイントが幾つかあるんだけど、何よりも「つくねんと」が効いてるよね(〃'∇'〃)

喉が痛い、首が痛い、眠いの三重苦だった昨日に対して、今日は何かしらんけど寒く感じるよ(´ヘ`;)