煙や臭い以上に吸い殻のポイ捨てが迷惑(+_+) 側溝に捨てるだけでなく垣根にまで差し込む輩が(-ω-、)
昨日の夕食で詰め物が取れたので図書館に行く予定が歯科に変更(+_+) 年を取ると金がかかる(´ヘ`;)

【読んだ本】

文藝春秋編『「文藝春秋」にみる昭和史』第二巻(文藝春秋,1988)所蔵本

紀田順一郎『にっぽん快人物烈伝』(旺文社文庫,1985)の「芸能人」の12人目は、「弁士から話術の
大家へ」として徳川夢声(´・_・`) 紹介されてる逸話に、酒好きが高じてアル中になった徳川夢声は
NHKのスタジオでも飲み続けてラジオの本番が始まった時には人事不省となり、居合わせた古川ロッパ
が徳川夢声の声帯模写を「三十分」やって聴取者は気付かなかった、という話があるけど、コレは古川
ロッパの逸話だろ^_^; 「・・・昭和七年八月八日に夢声が睡眠薬の飲みすぎで倒れたとき、ロッパが
夢声がやるべき四十分間の放送を夢声の声色で埋めて、事故を聴取者に気づかせなかったという、信じ
がたい事実がある。」と小林信彦『日本の喜劇人』(新潮文庫,1982)の「第一章 古川緑波~丸の内
喜劇の黄金時代」に出てるしさ(^_^;) 他の逸話は、ここにメモるほどの内容では無かったね(@_@;)

そこで、本書に収録されている未読の有名な座談会(抄録)、辰野隆&徳川夢聲&サトウ・ハチロー
「天皇陛下大いに笑う」を読んでみた(⌒~⌒) 3人と昭和天皇との座談を振り返ったものなんだけど、
「あとで入江侍従がね、陛下があのくらい快くお笑いになったことは初めてだって言ってましたよ。」
(辰野)という数々のウケた話よりも、小生的に興味深かった件が幾つかあった(^_^;)

  徳川  わたくしが偉いと思ったのはね、あの二時間の間、一番お行儀がよかったのは
      陛下です。ええ、二時間もやるとね、われわれはつい脚なぞフイっと組んじゃったり、
      煙草も出てますからナ、それを遠慮なくスパスパ戴いて、わたくしなぞは、どうも
      あれよりも自分の両切りのほうが旨いから、それをポケットから出して戴く。辰野先生
      なぞも時どき腕を組んだり、直したりしてね。侍従も脚を組んでましたよ、見たらね。
  
  辰野  私はね、初めは煙草をのまなかったんですがね。第一、陛下が召上らないでしょう。
      煙草は出てるんですが、陛下の前で煙草をのむなんて、とんでもないことだ、
      と思ってね。しかし侍従の連中はのむんですナ。ああ、のんでもいいのかナ、
      と思ってのみましたけど、慣れるまではのみませんでしたよ。

  徳川  ・・・濛々と室内に煙が立て籠ったんですナ。二時間経って陛下がお帰りになる時に
      侍従がドアを開けたらね、部屋の中の煙草の烟[ママ]りがウワアアアッと出ましたよ。
      そこを陛下はスウッとおいでになる。烟り[ママ]にお乗りになった感じですナ。
      雲に乗ってお帰りになった。(笑声)それほど煙草をすったんですナ、われわれは。

  サトウ その時に雨が降ってたから、なお烟り[ママ]が低く・・・・・・。

  徳川  地を這ったんです。・・・

「雲に乗ってお帰りになった」はいいね(^_^;) 昭和天皇はタバコを喫われないのかしらと考えてたら、

  徳川  煙草をすわないけれども、はたですっていられても気にならないのは、
      鼻が悪いせいだって。

  サトウ そう仰しゃったナ。お酒はいま練習してるって仰しゃったよ。「医者がすこし飲めと
      いうから、いま練習しておる。薄めて飲んでおる。」ってね。僕は日本酒を薄めて
      召上るのかと思ったら、葡萄酒らしいんだ。

「恩賜の煙草」があるというのに、昭和天皇御自身は非喫煙者とは( ̄◇ ̄;) 飲酒のことについては、

  辰野  徳川さんが「陛下はお酒は召上りませんか」と言ったらね、「僕は三つか
      四つの時に、正月にお屠蘇を飲み過ぎて、とても苦しかったことを憶えてる。
      それから飲まないんだよ」と仰しゃった。そうしたら徳川さんが「あんな
      おいしいものを!」と言ったナ。(笑声)

  徳川  その時陛下が「実は」と仰しゃったんですよ。これは非常に印象的な言葉だったな。
      「実は子供の時に飲んだことがある。侍医がそばにいたけれども、黙ってた。
      飲んだら大変苦しかった。それ以来、飲まなくなったよ」と仰しゃったんですがね。

昭和天皇は酒もタバコもおやりにならなかったとは( ̄□ ̄;)今上天皇はどうなんだろうか(@_@;)

待合室で公文式のY先生に再会し、てっきり理系に進んだのかと思っていたと言われたぞ( ̄□ ̄;)