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160722読んだ本

何度も立ち止まってウチの門や庭にスマホを翳すポケモンGОらしき輩は住居侵入の下見のよう(-"-)

【読んだ本】

杉本苑子『歴史エッセイ 江戸散策』(旺文社文庫,1985)所蔵本

「くらしの諸相」の章の残りの2篇は、「伊勢参り今昔」と「白足袋と紺足袋」(^^) 日本列島の地震
発生の周期はほぼ60年が「定説」らしいが、江戸時代の伊勢参りの大流行もだいたい60年周期という、
星野之宣『ヤマタイカ』みたいな話から始まってる「伊勢参り今昔」は興味深い内容てんこ盛り(^^)
伊勢の神域を「心のふるさと」視し、太神宮を「日本人の祖神」「精神の拠りどころ」とする発想は、
「幕末から明治、それ以降にかかってつちかわれ、教育された結果、一般に定着した考え方」なこと、
「旅行業者、銀行、タクシー会社、ホテル業者からガイドまでを、一手にひきうけた」御師[おし]の
活躍のこと、伊勢参りという現象は「抑圧されたエネルギーの爆発といっても、その時々の社会背景、
政治情勢とつき合せて考察」する必要があることなど色々考えさせられる(^^) 「白足袋と紺足袋」は
明治三年の庚午事変(稲田騒動)についてで、章タイトルと合わない気もするが、内容に惹き込まれ
ながら一気に読み終えてしまった^_^; 仲の良かった蜂須賀小六を助けた稲田九郎兵衛は、家老として
関ヶ原の折にも「若き主人[小六の孫の至鎮]を補佐して去就を誤らせなかった」ので、蜂須賀家が
淡路も支配するようになると、稲田家は洲本の支城を預かり、「一万四千五百石という高録」となり、
「淡路島全土の領主のごとくふるまって、洲本藩、あるいは稲田藩と号し、本家すじに当る徳島藩・
蜂須賀家を、ときにはしのぐほどの力を持つに至った。」^_^; が、版籍奉還から廃藩置県への過程で
稲田藩の家臣は格下げされ、その多くは減俸にとどまらず暇を出されるということから、稲田藩側が
その分離・独立を政府に働き掛けたことに憤った徳島藩・蜂須賀家側はその一部が暴発して、洲本の
稲田家留守宅の家来や家族など無抵抗な女子や子供を襲うという事態まで惹き起こしてしまった(;_;)
結果、先代藩主が将軍家からの養子だった蜂須賀家とは違い、勤王の旗幟を鮮明にし官軍に与してた
稲田藩なのに、賊軍であった東北諸藩と同様に、北海道への移住を強いられ、また、後に「淡路島は
兵庫県に組み入れられて、二度と徳島に属することなく、両者の縁はかんぜんに切れ」てしまう(+_+)
「維新の大動乱という変革期を背景に、廃藩置県にともなって起こった士族社会の、プライドと経済
基盤の崩壊」による稲田騒動は、たしかに他の「お家騒動」とは「毛色がだいぶ変っている。」(..)
なお、「その藩命によって、とり鎮めに駆け向かった軍監の下条勘兵衛、弁事の牛田九郎は、・・・」が、
後の方になると「七月に入っていよいよ断罪の令がくだり、まず願成寺で屠腹した二条、牛田の両名に、
・・・」とあるのは誤植か(..) とまれ、読み応えのある一篇で本書を読み終えることが出来た(^^)

中野京子『名画の謎 旧約・新約聖書篇』(文春文庫,2016)所蔵本

安彦良和『イエス 愛蔵版』(NHK出版,2003)所蔵本

雨で更に涼しくなって、ティファールで淹れたコーヒーが飲み頃になるのも心持ち早くなった気が^_^;
タグ:随筆 歴史
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