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240514読んだ本

頭痛の原因は睡眠中に宇宙人が頭に埋め込んだICチップが太陽フレアの影響で障・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;

【読んだ本】

唐木順三『唐木順三文庫10 應仁四話』(筑摩書房,1973)所蔵本

列伝風の歴史小説集であり、図書館の『筑摩現代文学大系76 中村光夫・唐木順三・吉田健一集』
(筑摩書房,1979)で足利義政を描く「慈照院義政」&豐原統秋を描く「體源抄由来」&宗祇を描く
「宗祇私語」を読んだので、先日購入の本書で「あとがき、或ひは、こぼれてしまつた話」に続いて
一休宗純を描いた「しん女語りぐさ」も読んで読了(^o^)丿 1967年の芸術選奨作品だけあった(^^)v

島津忠夫『連歌師宗祇』(岩波書店,1991)所収の「付一 紀伊生国説の可能性」が「宗祇私語」に
言及してたので、同書の250~252頁と255~256頁から原文ママで引くけど、中西進『辞世のことば』
(中公新書,1986)の宗祇の項の「・・・紀州(一説に近江)にうまれ、・・・」という記述が学説
状況の認識として逆であることも理解できるかと(^_^;)

    ・・・/[近江生国説を力説される金子金治郎]氏が「逆に、紀伊[生国]説の出所に
    ついて、確かな根拠をもとめる努力が、今もなされている」といわれるのは、実はその
    注記にもあるように、「宗祇伝の空白の部分を埋める鍵はないのか」(『国文学』昭和
    五十六年六月号)という私の書いたものをさして言われているのである。私も近江生国
    説を有力とは見ているのであるが、「中世の謎」という特集で上記の課題を与えられ、
    紀伊説を考えてみたまでであった。しかし、宗祇の生涯を考えてみる時、前半生が余り
    にも不明であるのは、やはりそこに何か意図的なものがありはしないかという懸念を
    捨て切れないのである。景徐周麟の「江東の産」という確かな説といわれているものも、
    宗祇の名声が高くなって来た後に、宗祇の口から語られたものに拠っているのではないか
    という気がしてならないのである。近江生国説が今後動かない説として定着してゆくで
    あろうということを思いつつ、あえて紀伊生国説の可能性をさぐってみることも徒労で
    はなく、宗祇という人を考えてゆくには、それも必要ではないかとも思うのである。
    「宗祇伝の空白の部分を埋める鍵はないのか」の私の文章は、以下のように、唐木順三
    氏の「宗祇私語」という小説を取り上げるところより始まる。/唐木順三氏に「宗祇私語」
    という小説がある。『展望』昭和四十年二月、六月、十二月の各号に発表された「しん女
    語りぐさ」「体源抄由来」「慈照院義政」と合わせて、『応仁四話』と題し、昭和四十一
    年四月に筑摩書房から刊行された一書の中に収められている。私は、この一篇をたいへん
    興味深く読んだことを覚えている。高名の唐木氏一連の中世文学の評論よりも、はるかに
    おもしろいと思った。唐木氏が、小説という形で取り上げることによって、いかにも氏
    一流の見方で宗祇の前半生の空白を論理的に構築することに成功しているからである。
    ひとつひとつたんねんに拾ってゆくならば、その素材として用いられた資料はかなりに
    専門的なものにまで目を配られていることが知られる一方、解釈その他の面で、小説
    だからということではなく、氏の見解の誤謬にもとづくと思われる点も随所に見られる。
    それに、最後を白河紀行と古今伝授で結ぶところも、小説としてはあまり効果的とは
    言えないであろう。しかし、

      生まれたのは紀州のさるところだが、そこに定住してゐたわけではない。
      ・・・だらりと垂れたままの赤い烏帽子がいつまでも忘れられなかつた。

    という一節などは、創作とはいえ、宗祇の生国についての紀伊説と近江説を巧みにつな
    いだものとして興味深い。/・・・


    ・・・/寛正六年(一四六五)正月十六日、摂津国三島郡富田[とんだ](高槻市)の
    臨済宗景瑞庵の住持実中興行の「何人百韻」に加わり、宗祇は第八句目をよんでいる。
    ・・・以後の宗祇の足跡は時にかなり明らかにたどることができるのに対して、この年
    以前の前半生は、まったく謎に包まれているといってよい。/再び唐木氏の「宗祇私語」
    を引こう。

      おのれの生国出自をひとに秘しておくのは窮屈至極のことである。・・・いづれに
      しても苦しい弁疏であることに変りはない。

    ・・・

「宗祇私語」からの引用部分はネタバレにならぬように省略して引いた(^_^;) ちなみに、唐木順三
がボツにした人物あるいはテーマを幾つか披露した「あとがき、或ひは、こぼれてしまつた話」から
その一例を紹介したので(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2024-04-30 )、
ソレから『應仁四話』がどんな作品なのか想像できるかもしれないし、できないかもしれない(^_^;)
とまれ、評論家の余技の小説が本職の「評論よりも、はるかにおもしろい」との評はちょっと(^_^;)
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240513読んだ本

「死があたかも一つの季節を開いたかのようだった。」、「詩があたかも・・・」も可か(@_@;)
一日中雨だったし頭がチト痛いから夕食後にもったいないけどパブロンを服用して寝る(´ヘ`;)

【読んだ本】

駒田信二『漢詩名句 はなしの話』(文春文庫,1982)所蔵本

今回(前回⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2024-05-12 )のは、西郷隆盛の
「偶成」から「児孫の為に美田を買わず」(^_^;)

    幾歷辛酸志始堅 幾たびか辛酸を歴[へ]て志始めて堅[かた]し
    丈夫玉碎愧甎全 丈夫[じょうふ]は玉砕するも甎全[せんぜん]を恥ず
    我家遺法人知否 我が家の遺法人知るや否や
    不爲兒孫買美田 児孫の為に美田を買わず

     幾度も苦しい経験をして、はじめて志が堅固になる。
     男子たるものは、玉と砕けて死のうとも、瓦となって生きながらえることを恥とする。
     わが家の遺訓を人は知っているであろうか。
     それは、子孫のために美田を買い残さない(財産をたくわえない)ということである。

第三句は「一家遺事人知否(一家の遺事人知るや否や)」とも作られる由(^_^;) チト興味深いのは
〈この[第二]句は『北斉書』の元景安伝に「大丈夫寧当玉砕、不能瓦全」(大丈夫寧[むし]ろ当
[まさ]に玉砕すべし、瓦全すること能わず)とあるのによる。〉由、イメージと異なり学が(^_^;)

    ・・・/兇徒は石川県士族島田一郎以下六人、彼等の懐にした斬奸状には、「公儀を
    杜絶し、民権を抑圧し、以て政治を利す」以下数箇条を挙げてあった。利通は剛毅な
    性格の人だっただけ、反対党からは勢いさように見られやすかったが、彼は決して
    私営の人ではなかった。死後その財産を調べたら、朋友知己からの負債が数千円の額
    に上っていた。島田等も法廷に於て、裁判長玉乃世履から利通の精神を聴き、深く
    不明を悔悟したという。/・・・

森銑三『偉人暦(上)』(中公文庫,1996)の「五月十四日 大久保利通」の項からの引用なり(^_^;)
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240512読んだ本

「ばかな栗鼠だな」とつぶやいた堀辰雄C= (-。- ) フゥー にしても、染野ぬきでも負けなかった(^^)

【読んだ本】

駒田信二『漢詩名句 はなしの話』(文春文庫,1982)所蔵本

今回(前回⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2024-04-27 )のは書家としても
有名な黄庭堅の「竹枝詞二首」から「四海は一家皆弟兄」(^_^;) 七言絶句二首で、第三句は共通、
第一句と第二句は其一の方が好み(^_^;) 駒田信二『中国書人伝』(芸術新聞社,1985)では二首とも
紹介も、駒田信二『中国詩人伝』(芸術新聞社,1991)は其一だけ(^_^;) 其二の第三句と第四句だけ
引いておく(^_^;) 一部の漢字は字体が異なること例の如し(^_^;)

    鬼門關外莫言遠 鬼門関外遠しと言う莫れ
    四海一家皆弟兄 四海は一家皆弟兄

     都をはるかに離れた僻地のこの鬼門関のむこうを、遠いなどといってはならない。
     四海の内は一家であり、人はみな兄弟なのである。

其一の第四句は「五十三驛是皇州(五十三駅是れ皇州)」で、「都からここまでの五十三の宿駅は、
みな天子の土地なのである。」と訳(^_^;) 不思議なのは「配流の旅の思い」を詠みながら「唐代の
詩人たちの流罪を歌った詩に見られる歎きや悲しみや怨みが全くといってよいほどない。・・・宋代
の知識人の理性的な人生観と人間平等観とがうかがわれる。」(^_^;) 「四海一家皆弟兄」は『論語』
顔淵篇に拠ると指摘され、「四海の内皆兄弟なり」を含む引かれている読み下し文を金谷治(訳注)
『論語』(岩波文庫,1963)は〈子夏はいった、「商(このわたくし)はこういうことを聞いている。
『死ぬも生きるもさだめあり、富みも尊[たつと]さもままならぬ。』と。〔あなたの[無法者の]
兄さんのことも、しかたがない。〕君子は慎んでおちどなく、人と交わるのにていねいにして礼を守
ってゆけば、世界じゅうの人はみな兄弟になる。君子は兄弟のないことなどどうして気にかけること
があろう。」〉と訳(^_^;) 笹川良一の「世界は一家、人類は皆兄弟」への言及ナシオン主権(^_^;)
タグ:中国 古典
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240511読んだ本

まさに酒は百害あって一利なし(´ヘ`;) 酒の助けなんか借りなくても忘れ・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;

【読んだ本】

みなもと太郎『風雲児たち 幕末編 30』(リイド社SPコミックス,2018)所蔵本

    ・・・腮が著しく突出していて、「腮」の渾名があった。同志から「墨龍先生」とも
   呼ばれた。墨絵の龍見たいな顔というのだ。同じく郷士出の坂本龍馬が江戸から帰って、
   「腮は相変らず、窮屈なことをいっているか?」といった。これを聞いた武市、「なに
   痣が帰ったとや、また大法螺を吹きおろう」といって笑った。龍馬の顔は黒子だらけ
   だったからだった。/

森銑三『偉人暦(上)』(中公文庫,1996)の「五月十一日 武市半平太」の項からの引用であるが、
週刊文春で連載中の鈴ノ木ユウの漫画『竜馬がゆく』を読んでるけど(司馬遼太郎の原作は未読)、
主人公の顏が「黒子だらけ」に描かれてないのはさておき、武市は「顎[アギ]」と呼ばれてるし、
wikiの「武市瑞山」の項にも〈顎が大きかったと言われる。龍馬は半平太を「顎(アギ)どの」と
呼んだ書簡を残している。〉と記されてる(@_@;) 「腮」と「顎」、どちらが正しいんだ(@_@;)
平尾道雄『維新暗殺秘録』(河出文庫,1990)の「土佐藩参政 吉田東洋」もついでに読んだ(⌒~⌒)

    ・・・/四月八日、予定のごとく吉田東洋は、城内二の丸で日本外史信長記
    「本能寺凶変」の一節を進講すると、講義納めの酒肴が出された。ほろ酔い
    かげんで退出した東洋は城外に出ると陪席の五、六人とわかれ、夜暗にけむる
    ぬか雨の中を傘をかたむけながら自宅へと歩をはこんだ。/・・・

東洋を暗殺した刺客追補のため土佐を立ち京阪を探る井上佐市郎も酒でつぶして暗殺((;゚Д゚)ヒィィィ!
にしても、暗殺された日に「本能寺の変」か・・・と思ったら、昔読んだ本書にも描かれてた(^_^;)
タグ:漫画 歴史
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240510一昨日買った本

50人選ぶのは簡単なようで意外に難しいことを痛感させられた一冊なり〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【一昨日買った本】

窪田敏夫『古典文学全集24 和歌・歌人物語』(ポプラ社,1966)

「もったいない本舗 楽天市場店」の「良い」415円(送料無料)を5日に注文し、追跡不可能ゆう
メールで8日に届いた(^_^;) コンディション説明文はテンプレゆえ他の出品者が記してた函が付い
てるのか不明だったけど付いてたし、商品名に「[ペーパーバック]」なる謎の文言があるもフツーの
単行本でビニールのカヴァーも付いていて中身も書きこみは見当たらないし、天・小口・地の焼けは
なにわのブラックダイヤモンド橋本梨菜と並べたら真っ白とも言え、問題ナシオン主権ウラー!(^o^)丿

    ・・・/この本では、たくさんの歌人のなかから、代表的な五十人ほどをえらびだして、
    歌とその生涯について説明したつもりです。きっと、みなさんも名前ぐらいは知っている
    人もいるでしょう。/・・・全部読みとおせば、日本の和歌の歴史や和歌というものが
    理解できるように書いたつもりです。/

斯く本書の「はしがき」には記されていたけど、本書の目次をメモるので、よぉーく御覧あれ(^_^;)

    はしがき

    安倍仲麿

    小野篁

    在原業平

    小野小町

    紀貫之

    凡河内躬恒

    紀友則と壬生忠岑

    源順

    曽禰好忠

    藤原公任

    和泉式部

    紫式部と清少納言

    能因

    藤原通俊

    源経信

    源俊頼

    藤原顕輔

    藤原清輔
 
    藤原俊成

    西行

    藤原定家

    式子内親王

    鴨長明

    寂蓮

    顕昭

    慈円

    藤原家隆

    藤原良経

    後鳥羽院

    源実朝

    京極為兼

    頓阿

    正徹

    細川幽斎

    木下長嘯子

    深草元政

    戸田茂睡

    下河辺長流

    賀茂真淵

    田安宗武

    本居宣長

    加藤千蔭

    村田春海

    小沢芦庵

    香川景樹

    良寛

    橘曙覧

    解説

    索引[和歌上の句・人名]

この49人が「代表的な五十人ほど」か(^_^;) 児童書なのに、いや児童書だからか、大衆的・通俗的
な人選に堕しておらず、本書を図書館で初めて披いた時にはマジびっくりした(^_^;) 小生は詳しく
ないけど、和歌の神様の如く崇められた柿本人麻呂が落選はおかしいね(^_^;) 紫式部と清少納言は
100人ならまだしも「代表的な五十人ほど」に入れるのは無理があって、伊勢タンを選ぶべき(^_^;)
源順(←先日書いたけど調べると得心)、藤原通俊、寂蓮、顕昭とか小生は絶対に思い付かん(^_^;)
タグ:和歌 列伝 歴史
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