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231223読んだ本

読んで面白かったりタメになった本を他人に紹介したくなるのは解るが無知を晒さなくても(@_@;)
和泉式部を描いた小説について、和泉式部とは紫式部のことで途中で名前が変わるのかと思ってたと
書くのはそーゆー芸風のブログなんだろうけど、百人一首の大衆向けらしき入門書を紹介して撰者の
藤原定家は平安初期から中期にかけての貴族と書いているブログ主は流石に如何なものかと(@_@;)

【読んだ本】

桑原博史『私家集全釈叢書2 源道済集全釈』(風間書房,1987)所蔵本

藤原道長との関係が悪かった三条天皇だけど、その皇太子時代には道長と親密な場面があったことは
藤原行成の日記『権記』の長保2年(1000年)2月3日条に出ており、同条の一部を倉本一宏(全現代
語訳)『藤原行成「権記」(上)』(講談社学術文庫,2011)316頁の訳で引く(^^)

    ・・・遊戯はすでに闌[たけなわ]であって、日は傾いた。左大臣[藤原道長]
    が退出した。時に殿の前の梅樹の南枝が、もう開いていた。殿下(居貞親王)が
    おっしゃって云ったことには、「花の色は、新たに開いている。空しく[梅樹の
    前を通り]過ぎてはならない。」と。大臣(道長)はすぐに跪いて令旨を承り、
    花の下に進んで、ねじって一枝を折り、これを献上した。東宮[居貞親王]が
    おっしゃって云ったことには、「君折れば匂ひ勝れり梅の花(君が折ったので
    色も勝っている。この梅の花は)」と。大臣がすぐに啓上して云ったことには、
    「思ふ心の有ればなるべし(君を思う心が有るからでしょう)」と。大臣がまた、
    啓上したことには、「栽[う]え[ママ]置きし昔の人の詞にも君が為とや花に
    告げけん(この梅を栽えておいた昔の人の詞にも、「君の為」と花に告げたので
    しょう)」と。この事は、これは即妙のことであって、感興はこの上なかった。
    ・・・

仮名遣いは間違ってるし、不親切な訳文だが(北山円正の論文によれば、「思ふ心」の持ち主である
「昔の人」とは藤原兼家の由⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-05-05 )、
興味深いのは道長の即興で詠んだ歌の「栽ゑ置きし」という初句である(@_@;) 源道済の歌を本書
から引く(@_@;)

     中将家(の)桜いとおもしろく咲きたりしを見て、妻[め]のもとにやりし。

    植ゑ置きし人もなけれど春来れば花は昔に変らざりけり

      中将家の桜がたいそう趣き深く咲いたのを見て、その妻である人のもとに送った歌。

     植えて置いた人は亡くなってしまいましたが、春が来るとこの桜の花は昔と変らず
     美しく咲き匂うのですね。

語釈で「中将」について「杉崎重遠氏『勅撰集歌人伝の研究』の中で、長徳四年になくなった源宣方
かとされているが、不明。」とあるのは、本書巻頭の「解説」で桑原博史は同歌を「長保二年」の詠
としているからだけど、居貞親王(三条天皇)と道長の上述の出来事も長保2年(1000年)(@_@;)

犬養廉&平野由紀子&いさら会『笠間注釈叢刊18 後拾遺和歌集新釈 上巻』(笠間書院,1996)では
「うゑおきし」は「[勅撰集では]後拾遺初出の語句。」と説明も(水口菜生子)、手元の私家集の
注釈書を見ると、赤染衛門(2首)、藤原公任(1首)、藤原定頼(1首)も用いていた(@_@;) 定頼
は『後拾遺和歌集』が初出だが、藤原公任も赤染衛門も源道済も『拾遺和歌集』の時代の人(@_@;)
私家集の注釈書は数えるほどしか持ってないから、単なる思い付きに過ぎないけど、『拾遺和歌集』
時代に流行ったフレーズだったのかしら(@_@;) だから、道長も用いて即詠できたのかも(@_@;)
『拾遺和歌集』ではなく『後拾遺和歌集』に入集したのは、末世、末法思想と関係あるとか(@_@;)
なお、源道済の上記歌が典型だけど、「植ゑ置きし」を用いてる歌は「一つの類型の歌」(川村晃生
[校注]『和泉古典叢書5 後拾遺和歌集』[和泉書院,1991])が多い中で、道長のはワンパターンに
陥ってないし、やはり歌人としてもそれなりに優れた人物だったと愚考〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
タグ:歴史 和歌
コメント(4) 
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コメント 4

tai-yama

和泉式部が進化したら紫式部になったとかでも良さそう(笑)。
三条天皇は桜を見るたびに、皇太子時代の道長はやさしかったのに
と昔を思い出したり・・・・(泣)。
by tai-yama (2023-12-23 19:25) 

middrinn

三条天皇は月を眺めて嘆くことが多いですね(^_^;)
皇太子居貞親王のことを「思」っているのは私の父の
兼家であり私ではありませんが道長の歌意か(^_^;)
by middrinn (2023-12-24 08:28) 

df233285

そのブログ主は外国の天文学者か? 藤原定家が「かに星雲」
の超新星を西暦1054年に見たと思って書いているのでは?

by df233285 (2023-12-24 09:42) 

middrinn

例えば、『百人一首』に入っている源実朝が鎌倉時代の人間であることに思い
が至らないわけですから、無知なだけでなく、頭が悪いブログ主かと(^_^;)
by middrinn (2023-12-24 10:28) 

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