親は一流の学者なのに「少年」の内から「茶屋遊び」してるから京都の少年非行は・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;

【読んだ本】

森銑三『偉人暦(下)』(中公文庫,1996)所蔵本

伊藤仁斎の第三子である伊藤介亭を取り上げた本書の「十月二十四日 伊藤介亭」に次の件が(^_^;)

    ・・・介亭の次弟がまだ少年で、時々茶屋遊びしては帰って来る。兄さんの介亭が
    いるとはいりにくいものだから、ある時、門を潜るなり、「火事です」と叫んだ。
    介亭すぐに屋の上に登って見る。その間に部屋に入[ママ]って紛らしてしまった。
    /これに味をしめて、之からは度々、「火事です」を遣る。介亭はその都度屋根に
    上るのだ。[仁斎の第一子の]東涯の門人奥田三角が、「あまりばかばかしい」と、
    介亭に注意したら、「それは知らぬではないが、もしまことの出火の時に、例の偽りぞ
    と思って油断してはならぬから、とにかく出て見るのだ」と答えた。『イソップ喩談』の、
    「狼来れり」の少年も、村人の中に介亭先生があったなら、命を助かったかも知れない。
    /・・・

典拠を示すまでもない話だが、例えば、手元にある吉田小五郎『東西ものがたり』(中公文庫,1983
https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-01-31 )の「三百年前のイソップ物語」
に〈・・・太閤様の時代に、既に日本に「イソップ物語」の本ができ・・・〉てたとあり、伊藤介亭
はイソップ寓話を実は知っていたのかも(^_^;) なお、「童話『王様の耳は驢馬の耳』と同様の伝説
が当時[=院政期]の日本に伝えられていたらしい」と石川徹(校注)『新潮日本古典集成 大鏡』
(新潮社,1989)にも(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-01-25 )(^_^;)