とにかく明るい安村に国民栄誉賞をという声は無いのかね〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=) 藤井システムで
将棋史に名を留めるであろう藤井猛は〝じゃない方の〟とか言われちゃってたりするのかな(@_@;)
羽生善治だけでなく手塚治虫、野村克也、野茂英雄、イチロー、カズ、武豊も受賞者に加えたい(^^)

【読んだ雑誌】

ジュリスト563号(臨時増刊1974年6月21日号)所蔵誌

本誌本号は「我妻榮先生追悼」ということで、特集は「我妻法学の足跡」だけど、我妻栄というのは
言うまでもなく民法学の泰斗で、民法学界の神様のような存在だった、と言ってもいいのでは(^_^;)
心理学から文化人類学へと進み、『社会心理学入門』(講談社学術文庫,1987)上・下巻という解り
易い好著も出し、晩年の姿は加藤恭子&我妻令子『メガホンの講義 文化人類学者・我妻洋の闘い』
(文藝春秋,1987)に描かれている我妻洋(「ビッツバーグ大学教授」とあるけど、9月からUCLAの
人類学部教授になることが書かれている)が「不肖の子」という一文を寄稿している(^_^;)

    ・・・/私の人生にとって、父は大きな負担であった。・・・少し極言すると、私は、
    父に向って自分も「そう満更捨てたものではない」ことを証明したくて、そのことを
    父に認めてもらいたくて、努力を重ねてきた。・・・/子供の頃から、私は、何を
    やっても父にかなわないという気持を抱きつづけてきた。・・・/私は「不肖の子」
    と自覚して育った。どこへ行っても私は「我妻栄先生の長男」であり、学校の成績が
    悪ければ「父に似ぬ不出来の子」であり、成績がよければ「あれだけ偉い父親を持って
    いればできるのは当然」なのであった。少し大袈裟ないい方をすれば、私は、小学校の
    高学年以来、「偉い父親を持つこと」の辛さを嚙みしめ、その重さによろめく思いで
    成長した。・・・

本棚の奥から出てきて、懐かしい~と思いながら読んだけど、「日本には大学は一つしかなく、学部
学科も一つしかない」という我妻栄の「本音」も証言されてたりして(念のため記すが、小生はモチ
東京大学法学部法律学科の出身ではない)、全文を引用したくなるほど内容が濃く、やはり我妻洋は
「不肖の子」に非ず(^^) 最後の件(後記あり)を引く( ^o^)ノ◇ 山田く~ん 座布団1枚 ♪

    ・・・/最近、東部の一流大学に難なく入学した長女が、時折うらめしそうにいう。
    「デキル親を持つのって、子供にとってはひどくつらいことなんだよ。」 いわれなく
    たってわかっているさと、私は答える。そして、「でも、親に向ってそういえるだけ、
    君は倖せなのかも知れない。それに、君の父親は、[文化]勲章をもらったりはしない
    からね」と笑うのである。/