藤原道長は実は天女だったという説を唱えちゃったりなんかしてオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

【読んだ本】

駒田信二『中国故事 はなしの話』(文春文庫,1981)所蔵本

「男女の話」の章を読了(^_^;) 同章には、「月下氷人」(「月下老」[&「赤縄」]←唐の李復言
の小説集『続玄怪録』の「定婚店」、「氷人」←『晋書』の藝術伝)、「天衣無縫」(←唐の張薦の
『霊怪集』)、「駙馬」(←六朝の晋の干宝の『捜神記』)、「細君」(←『漢書』の東方朔伝)、
「荊妻」(←晋の皇甫謐の『列女伝』の孟光[後漢の梁鴻の妻])、「破瓜」(ex.晋の孫綽の
「情人碧玉歌」、清の翟灝の『通俗編』、清の袁枚の『随園詩話』、宋の祝穆の『事文類聚』)、
「糟糠の妻」(←『後漢書』の宋弘伝)、「覆水盆に返らず」(←梁の蕭綺が補綴した『拾遺記』
[原著は秦の方士の王嘉の撰と言われるも散佚]、明の馮夢竜が編んだ白話[口語]の短篇小説集
『喩世明言』の第二十七巻「金玉奴、棒もて薄情郎を打つ」の入話[まくら])_φ( ̄^ ̄ )メモメモ
メモりたいところは結構あったけど、「天衣無縫」から引く( ̄◇ ̄;)

    ・・・「天衣無縫」という言葉はこの[『霊怪集』の]説話から出て、天女の衣
    のように技巧のあとがなく、しかも美しく、よくととのっている詩や文を評して
    いうようになった。/われわれが今日使っている「天衣無縫」という言葉は、
    しかし、そういう意味ではない。・・・

手元の『大辞林』第一版第一刷の「天衣無縫」も「①詩歌などにわざとらしさがなく自然に作られて
いて、しかも美しいこと。②性格が無邪気で飾り気がないこと。また、そのさま。天真爛漫。」と、
たしかに説明されてたけど、①=「語源的意味」で用いられているのを見た記憶ナシオン主権(^_^;)
和泉式部の和歌が思い浮かんだけど、土田直鎮『日本の歴史5 王朝の貴族』(中公文庫,1973初版→
2004改版)が満月の夜に丸い盃が座をぐるっと一巡したのを読み込んだ「技巧のあと」に全く気付い
てない超有名な「秀歌」(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-08-09 )を、
小沢正夫&後藤重郎&島津忠夫&樋口芳麻呂『袋草紙注釈 上』(塙書房,1974)の訳で引く(⌒~⌒)

    この世は私の世、この夜[よ]も私の夜だ。もちづきはあのとおり欠けないし、
    さかずきは絶えずめぐっているし。