選ぶべきは、ポイントは多いが発売日に届かず年明けになるかもしれないショップと発売日に届くし
更に多くのポイントを貰えるけどポイント付与は来年の3月末というショップ、どちらかな(@_@;)

【読んだ本】

秋山虔(校注)『新潮日本古典集成 更級日記』(新潮社,1980)所蔵本

『更級日記』作者の菅原孝標女が宮仕えに出て、ある夜に同僚の女房と一緒にいたら源資通に遭遇、
ともに初対面だが、春と秋のどちらの夜が風情に優れているか話し込む場面があって、同僚の女房が
秋の夜派なので、菅原孝標女は春の夜を讃美する和歌を詠んだ(⌒~⌒) その歌は『新古今和歌集』に
入集もその詞書に記されている詠歌事情が『更級日記』の叙述とは何故か異なっていることに関して
犬養廉は菅原孝標女には現代には伝わってない家集が存在してソレから採ったのではないかという説
を提示した云々と吉岡曠(校注)『更級日記』(長谷川政春&今西祐一郎&伊籐博&吉岡曠[校注]
『新日本古典文学体系24 土佐日記 蜻蛉日記 紫式部日記 更級日記』[岩波書店,1989]所収)の解説
で読んだ記憶が(^_^;) 話を戻すと、その菅原孝標女が詠んだ歌を何度も何度も口ずさんだ源資通が、
「それでは、秋の夜はお見限りになったということなのですね」と述べた上で詠んだ歌を本書の頭注
の訳とともに引く(⌒~⌒)

    今宵より 後の命の もしもあらば さは春の夜を 形見と思はむ

     それでは今夜から後は、いつまでの寿命かは分らぬ私であるにしても、
     もし生き永らえていたならば、春の夜というものを、あなたにお逢いした
     思い出のよすがとすることにしましょう。

注釈書2冊にバカチン進呈(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-12-11 )の
源資通の『後拾遺和歌集』入集歌も「来年の秋を迎えることができるかどうかを危ぶみ、終の秋かと
思うといとおしいというもの。」(犬養廉&平野由紀子&いさら会『笠間注釈叢刊18 後拾遺和歌集
新釈 上巻』[笠間書院,1996]の木村由美子による説明)を詠んだ歌であり、もしかしたら源資通は
実は病気がちとかで自らの寿命は長くないなどと考えていたのだろうか(@_@;) 和歌は家集あるいは
秀歌を詠めば勅撰集に入集で末代まで残すことができるけど、源資通は家系(源雅信の曾孫)的にも
説話的にも音楽の人で、どんなに素晴らしい演奏をしても刹那的で儚いものと諦観してたり(@_@;)