歴史小説というのは小説の部分が作者の腕の見せ所なんだろうね〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本】

宮城谷昌光『劉邦(四)』(文春文庫,2018)所蔵本

    ・・・/項羽は義帝のゆるしも得ずに、分封の作業にはいった。封地が決まるまで
    待たなければならない劉邦は、張耳の営所へ行った。取り次ぎにでてきたのは、
    貫高と趙午である。ふたりは馬車からおりた劉邦をみても、さほど表情を変えず、
    むしろ冷やかに、/「主が恒山王に封ぜられたことを、賀[いわ]いにきてくれた
    のですかな」/と、いった。・・・/劉邦はあえてにこやかに、/「おふたりに
    泗水亭の近くで会いましたね。あれから歳月が経ちましたが、ご健勝で、なにより
    です。張耳どのが恒山王に封ぜられたことは、いま知りました。賀辞を献じましょう」
    /と、慇懃にいった。昔、このふたりは張耳の食客として威を張っていて、劉邦は
    兄事したことがある。その昔の目でふたりは劉邦を視ている。ふたりには、いつまで
    たっても、劉邦は食い詰めた若造にみえるのであろう。/──賢くない、ふたりだ。
    /・・・

言わせちゃったよヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 「泗水亭の近くで会いましたね」とは宮城谷昌光『劉邦(一)』
(文春文庫,2018)に出ていて、そこでも「──無礼なふたりだな」と劉邦に言わせてたしな(^_^;)

以下は、班固(小竹武夫訳)『漢書4 列伝Ⅰ』(ちくま学芸文庫,1998)の「張耳陳餘伝第二」及び
司馬遷(野口定夫訳)『史記列伝 二』(平凡社ライブラリー,2020)の「張耳・陳余列伝 第二十九」
に基づく要約だけど(文責は小生)、〈 〉内は前者から、( )内は後者から、それぞれ引用(^_^;)

楚漢が争う中、張耳は国を亡うも劉邦のお陰で趙王となり、その死後は子の張敖が嗣いで趙王に(^^)
漢の高祖劉邦の趙王張敖に対する態度に趙国の宰相の貫高や趙午らは〈・・・皇帝は王を遇すること
無礼である。どうか王のために皇帝を殺すのをおゆるしいただきたい。〉(・・・高祖は無礼であり
ます。王のためにこれを殺してしまいましょう)と説くも、趙王張敖は二度と口にするなと(@_@;)
貫高や趙午らは趙王張敖ぬきに高祖暗殺計画を進めるも勘の鋭い高祖は難を逃れ、密告する者もあり、
高祖は趙王張敖、貫高、趙午らを逮捕し、趙午らは自害したが、それでは誰が趙王張敖の無実を証明
するのかと貫高は趙王張敖とともに長安に護送される(@_@;) 拷問されても趙王張敖は無実と言い
張るのみの貫高に業を煮やした高祖は、真実を訊き出そうと貫高のことを知る泄公を遣ると、貫高は
趙王張敖は無関係なことや事の細かい経緯まで理路整然と語ったので、泄公が報告すると、〈・・・
かくて主上は趙王を赦した。/主上は高がみずから然諾を立て通せたことを賢明とし、泄公をやって
高を赦し[た]、・・・〉(・・・高祖は趙王を赦免した。高祖はまた、貫高の人柄があくまで然諾
を重んずるのを賢明と認め、泄公に命じて、/「張王はすでに出獄した。よって貫高も赦す」/と事
こまかに告げさせた。)が趙王張敖の釈放を知った貫高は自死してしまう(´;ω;`)ウッ… 『史記』
を書写したぐらいだから宮城谷昌光はモチ知ってる話だろうけど、「賢くない」はどうかなぁ(^_^;)

[追記220818]

史漢に高祖が貫高を「賢明」と評したことが記されているのに「賢くない」と言わせるのはね(^_^;)

・『香乱記』(新潮文庫,2006)で劉邦をボロクソに描いちゃったから、『劉邦』で辻褄合わせ(^_^;)

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