ブックオフのGWのセール、殻刑民は縁がないようだ(ノ;ω;)ノ ~┻┻ (/o\) ミドリン ナカナイデー!!

【読んだ本】

岡村繁『新釈漢文大系99 白氏文集 三』(明治書院,1988)

「月に感じて死者を悲しんだ詩である。」(本書87頁)と解題にある白居易(白楽天)「感月悲逝者
(月に感じ 逝者[せいしゃ]を悲しむ)」(0689)を本書87頁から通釈も含めて引くけど、返り点は
省略し、一部の字体は異なるし、訳注稿は竹村則行が担当している由(^^)

    存亡感月一潛然  存亡 月に感じて 一[いつ]に潛然[さんぜん]たり、
    月色今宵似往年  月色[げっしょく] 今宵[こんゆう] 往年に似たり。
    何處曾經同望月  何[いづれ]の處[ところ]か 曾經[かつ]て同じく月を望める、
    櫻桃樹下後堂前  櫻桃[あうたう]樹下 後堂[こうだう]の前[まへ]。

     君が死に、冴えわたる月光に胸がつまってさめざめと泣きくずれた。
     今夜の月光は往年のあの時そのままだ。
     曾てどこで君と月を眺めたのだったかね。
     そうだ、それは桜桃樹[ゆすらうめ]の下、奥殿の前だった。

月を見て亡き友のことを思い出してしまい悲しんだわけで、「舟夜贈内(舟夜 内に贈る)」(0878)
で「月明かなるも 月闇きも 總て人を愁へしむ(月は明るくても暗くても郷愁で人を悲しませるもの
だから)」(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-04-17 )と同様の論理(⌒~⌒)
ただ、〈月を見ると悲しくなる〉の典型的な(?)パターンは同じ月を遠い故郷や旅先で家族や友人
も見ているというもので、場所は違えど見る月は同一という月の遍在性なんだけど、この作品は月の
時間的同一性・不変性(^^) 月は同じままなのに君はいないというこの作品から『伊勢物語』に出てて
『古今和歌集』で在原業平作とされた「月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身一つはもとの身にして」
を連想v( ̄∇ ̄)ニヤッ だが、手元の『伊勢物語』『古今和歌集』の各注釈書には、この「感月悲逝者」
に言及しているものが無い( ̄◇ ̄;) 念のためネット検索したら、泉紀子が紀要論文で指摘済(^_^;)
手元に無いから判らないけど、『王朝の歌人3 在原業平』(集英社,1985)は、記述の誤りや疑問点
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-01-19 )に加え、仁明天皇(文徳天皇の
父)の時代の「承和の変」の叙述で清和(文徳天皇の子)・陽成・光孝天皇の時代を描く『日本三代
実録』から引くとか書くなど(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-01-22 及び
https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-01-23 )、資料引用のミスが目立ったので、
酷評したが、この点の指摘があったら、今井源衛は「長恨歌」以外の白詩にも通じてる可能性(^_^;)