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200119読んだ本

ヒロインと結ばれたヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪ 上巻途中だが満足したので読み進めるの止めるか^_^;
朝刊のほとんどが大学入試センター試験の問題&正解とそれに関連した広告で、記事が少ない(@_@;)

【読んだ本】

今井源衛『王朝の歌人3 在原業平』(集英社,1985)

読了(^o^)丿 読了とはいえ、この「王朝の歌人」シリーズで昨年読了した秋山虔の『伊勢』(1985年
https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-07-01 )や藤岡忠美の『紀貫之』(2005年
の講談社学術文庫版⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-11-04 )の時のように、
引用されてる歌や物語を各注釈書でチェックするような精読はしてない(^_^;) いつの日かメチャ安く
購入することが出来れば、付箋を貼った上で精読するかもしれないけど〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

ちなみに、著者の今井源衛は『源氏物語』の研究者として高名らしいのだが、以前に今井源衛(日本
歴史学会編集)『紫式部』(吉川弘文館人物叢書,1966→1985新装版)を少しばかり読んだ限りでは
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-08-22 )、頭が悪いよねC= (-。- ) フゥー

本書の誤植や誤り等を先に指摘しておくと、56頁の「その践祚・即位の騒ぎのなかで新帝の第一皇子
惟仁親王[=即位して清和天皇に]が生まれた。母は良房女明子である。」は、「第四皇子」の誤植
だし(「第一皇子」は惟喬親王)、88頁に〈三段は、前に述べた「ひじき藻」につけて、・・・〉と
あるけど、老眼が進んだ所為か、「前に述べた」という「ひじき藻」の件は見当らなかった(@_@;)
それに、わざわざ振り仮名も付けてるから誤植ではなく勘違いによる誤りだろうけど、154~155頁の

    ・・・/紫式部の父親の藤原為時が、十年にわたる散位のあげく、名文の申し文を提出、
    これが一条天皇の目にとまり、道長の斡旋によって越後守[えちごのかみ]の職を得た
    という逸話は有名である。/・・・

「越前守」の誤り(^_^;) 越前に赴任した際には娘の紫式部も同行して(彼女の「有名」な歌があり、
その歌の詞書を今井源衛は人物叢書『紫式部』でトンチンカンな解釈)、「越後守の職を得た」のは
その15年後で、為時に同行した息子の惟規が越後で亡くなったことで「有名」だわな( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

巻末の系図、略年譜、参考文献、業平和歌索引を除くと本書の本文は248頁で、192頁に「以上、私は、
できるかぎり、業平の実像追求を目的として、稿を埋めてきたつもりであるが、・・・」とあって、
本書の(少なくとも)8割近くが「業平の実像追求」らしい(@_@;) とはいえ、業平に関する史料の
少なさからか、『伊勢物語』も検討材料としていて、例えば、次のような感じ(42~43頁)(@_@;)

    ・・・/この[『伊勢物語』の]初段の語る若者のイメージは、いかにも若わかしく
    清冽な情熱にあふれて、美しい。しかし、そこにある二首のうちの後のほう
    「みちのくの」は、河原左大臣源融(嵯峨天皇の皇子。八二二~八九五)の歌を
    引いたものである。業平が元服したとき[42頁に「仮に十六歳とすれば、承和七年
    (八四〇)である」と]、融はまだ十九歳であって、このときまでにこの歌が
    そんなに有名になっていたなど、とても考えられない。いっぽうの「春日野の」の歌も、
    その出典は不明で、業平の作という証拠はまったくない。舞台を奈良の旧都にとったのも、
    業平の祖父平城天皇の面影をにおわせるくふうと思われる。初冠の段[=初段]は、
    要するに、『伊勢物語』の作者の創作であり、業平の実像とはなんら直接関係がない
    ことはあきらかだ。/・・・

反論じゃないけど、初段の「昔、男初冠[うひかうぶり]して・・・」の「初冠」には元服説と叙爵
(従五位下に叙せられること)説があることは『伊勢物語』各注釈書に出てて、「・・・在原業平は
平城帝皇子阿保親王を父とするため、薬子の乱等の関係から兄弟ともに臣籍に降下したような事情も
あり、叙爵は『続日本後紀』によれば、だいぶ後れて嘉祥二年二十六歳の折と見られる。」(阿部俊子
[全訳注]『伊勢物語(上)』[講談社学術文庫,1979])から、叙爵説なら融の年齢も上がる(^_^;)
とまれ、本書は論点を取り上げて他説の是非も丁寧に検討・論証しながら論を進めるようなスタイル
ではなく、根拠も示さずに決めつける件が多い印象である(@_@;) 例えば、「第三章 彷徨の十年」
の最初の節「伊都内親王の死」の冒頭(72頁)を引くC= (-。- ) フゥー

    /業平は、先述のように承和の変直後に、のちに藤原保則の妻となった長女を
    もうけており、さらに数年後の嘉祥元年(八四八)ごろには棟梁[むねやな]の母と
    思われる紀有常の娘と結婚し、翌年には棟梁が生まれている。複数の妻と子を抱えた
    中年男の業平の内部で、いったいなにが狂いだしたのか。/記録のなかに、それを
    物語るものはいっさいない。手がかりは、業平の歌のみである。それも『古今和歌集』
    の三十首と、『後撰和歌集』の四首だけで、あとは信用できないものがほとんどである。
    /・・・

在原業平の『古今和歌集』入集歌は30首だが『後撰和歌集』には10首あり(他に業平作となっている
2首があるが、片桐洋一[校注]『新日本古典文学大系6 後撰和歌集』[岩波書店,1990]によれば、
藤原仲平作の誤写というので、除いた)、この「『後撰和歌集』の四首だけ」とはどの歌を指すのか、
他の6首が業平作でないとする根拠は何か等を本書は示さない∑( ̄ロ ̄|||)ニャンと!? 片桐洋一・
前掲書の業平作の歌の脚注&他出一覧を確認しても、1首だけ〈・・・白河切は作者を「もとかた」と
する。〉とあるだけで、他の9首は業平作であることを疑うような記述は全く無い(^_^;) もしかして、
「『古今和歌集』の三十首と、『後撰和歌集』の四首だけ」とは、『伊勢物語』に入っている両集の
業平作の歌を指しているのか(@_@;) でも、本書は「『伊勢物語』のあまりにも虚構に満ちた性格」
(124頁)を再三強調しているし、また202頁では次のように記している(@_@;)

    /歌人としての業平を考えるうえで、まず、彼の作として確実な歌がどれくらいあるか
    ということから確かめてゆく必要がある。/現存する資料として、その点、比較的確実
    とされているのは、『古今和歌集』と『後撰和歌集』に業平作として収める約四十首
    である。しかし、これすら絶対確実というわけにはいかない。『古今和歌集』に収載する
    業平歌の詞書の多くは、長大で、『伊勢物語』の本文とよく似ており、両者の祖先に
    あたるなんらかの資料が考えられるし、また、その原資料が史実の枠をはみだした
    当時の伝承をふくんでいない保証はなにもないからだ。/勅撰集以外の業平家集についても、
    『在中将集』とか雅平本『業平集』など、どこまで信用できるか、異論が多いのである。
    そのことをふくんだうえで論を進めるほかないことを、読者は了解していただきたい。/
    ・・・

一般論で逃げて、結局は「『後撰和歌集』の四首だけ」とする根拠を示せないみたい(^_^;) だけど、
渡辺実(校注)『新潮日本古典集成 伊勢物語』(新潮社,1976)168~169頁は次のように指摘(^_^;)

    ・・・『後撰集』も『古今集』に続く第二の勅撰和歌集として、その記載は信憑性が高い
    と判断すれば、『古今』『後撰』両集によって業平作と判明するものだけでも[『伊勢
    物語』には]三十四首[あり]、・・・/また『古今』『後撰』の両勅撰集が業平の歌
    として採ったのはいわば業平の秀歌であって、両勅撰集に採られなかった業平歌が、
    そうと確かめられない形で『伊勢物語』に混ざっている、という可能性は十分に
    考えられることである。・・・

『伊勢物語』の歌207首一つ一つを業平作かどうか検討しないと「業平の実像追求」は無理かと(^_^;)

本書106頁に「近来、山田清一[ママ]氏そのほかの研究者のあいだに、『伊勢物語』は貫之の筆作に
なるものとする説が力を得つつあるが、その説が定まるか否かはともかくとして、・・・」とあって、
へぇ~!と読んでたら、241~242頁に次のように記されていた(@_@;)

    ・・・[『土佐日記』の]土佐を出発してまもなくの十二月二十七日には、見送りの
    人びととの応対・供応ののち、大津から出発、船中に土佐で病没した子を思いだして、
    悲しみの歌を詠み、さらにあとを追ってきた人びととの惜別、歌の贈答がある。つづいて、

      といふあひだに、梶取もののあはれも知らで、おのれし酒をくらひつれば、
      はやくいなんとて、「潮満ちぬ。風も吹きぬべし」と騒げば、船に乗りなんとす。

    とあるのは、『古今和歌集』や『伊勢物語』の東下りの隅田川の情景によく似ている。
    人びとが、都恋しさに川のほとりに座って、ひとしきり感慨にふけっていると、
    渡し守が、「はや舟に乗れ、日暮れぬ」と催促する。渡し守のこの無情さと、
    『土佐日記』の梶取の無情さとは、通ずるところが多く、『土佐日記』中に、
    この梶取がほかにも数回顔を出して、強欲ぶりをみせたりするのも、隅田川の渡し守に
    影響されたものと、福井貞助氏がいわれるのは、もっともなことである。/
    前にもふれたが、山田清市氏の『伊勢物語』貫之作者説は、この点からも今後十分に
    検討されるべきことだろう。

この福井貞助『伊勢物語生成論』(有精堂出版,1965)の指摘、紀貫之が『土佐日記』を執筆する際に
『伊勢物語』の記述を参考にした可能性があるというだけかと(^_^;) 『伊勢物語』と『土佐日記』は
記述に似ている個所があるから、その作者は同一とするなら、例えば、後鳥羽院には藤原清輔の歌を
本歌取りした歌があるから、その藤原清輔の歌の作者は実は後鳥羽院だったとか言い出しそう(^_^;)
それに片桐洋一&福井貞助&高橋正治&清水好子(校注・訳)『新編日本古典文学全集12 竹取物語
伊勢物語 大和物語 平中物語』(小学館,1994)所収の福井貞助による『伊勢物語』の「解説」も、

    ・・・『伊勢物語』の作者も一人には定められない。業平もその中心をなす歌や詞と
    ともに作者の一人だといえなくもない。また、業平の子の滋春といった近親者、あるいは
    紀貫之や伊勢御、源順などの名歌人、広才の文人が何らかの担い手、もしくは形成者と
    考えられる。/その中でも貫之は、近代ではこれを作者として取り上げる説も出てきた。
    ・・・しかし・・・『伊勢物語』の気分と貫之の文質は異なるものがあるようで、貫之が
    『伊勢物語』の多くを書いたという確証は求めにくい。それに、自身を女の身という虚構に
    置いて書いた『土佐日記』が、すぐに貫之の作と知れたのだから、もし貫之がひそかに
    自身を晦まして『伊勢物語』を書いても、有名な歌人貫之の名は『伊勢物語』の作者として、
    平安朝や鎌倉時代に伝わるであろうが、そうでもないのは、やはり貫之は『伊勢物語』の
    中心的部分を書いた人物ではなかったからであろう。おそらく貫之は『伊勢物語』の伝流
    にはかかわり、編集加筆等の手を入れたことはあっても、『伊勢物語』の主要作者と
    いえる人物ではなかったようである。

福井貞助は「山田清市氏の『伊勢物語』貫之作者説」に否定的なんだから、読者をミスリード(^_^;)

色々と学んだところもモチあったけど、いつか別の機会に触れられれば〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

タグ:伝記 和歌 古典
コメント(14) 
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コメント 14

mimimomo

こんにちは^^
今日は高尾山に行く予定でしたが、道がきっとぐちゃぐちゃだろうなーって。鎌倉に変更。
先ほど戻って来て新聞見ました。読むところないねぇ~ 本当に入試の問題と答えばかり。
middrinnさんって本当に詳しく読んでいらっしゃいますね~ わたくしはつい昨日「枕草子」を読み終えましたが、ただ「あーそう」と言う感じに、訳し方がおかしいなんて考えてる暇なしだわ。ただ信じてしまってる(--
by mimimomo (2020-01-19 16:05) 

middrinn

高尾山は八王子以上ですからねぇ、雪が降った場合(^_^;) 当たり前ですけど(^_^;)
センター入試に全く興味・関心が無い人間なので読むところが少なかったです(+_+)
『枕草子』読了とは流石です( ̄◇ ̄;) いずれ挑戦の予定ですけどチト先かな(@_@;)
by middrinn (2020-01-19 18:59) 

ニッキー

今日はとっても良い天気だったので
川沿いのRUN道は混んでました(;^ω^)
昨日の雪&雨で散歩を楽しめなかった高齢の方々が
一斉に出てきてたので走りにくかったです(;^ω^)
上巻途中で結ばれたとなるとこれから2人の絆を
確かめるような問題が次々と(@_@)w
by ニッキー (2020-01-19 20:39) 

enokorogusa

『伊勢物語』何冊か読みました。
・・・ですが、読んでるときは「ふ~ん、なるほど」とか「本当にそうなの?」と思うことはあっても、他の書物などで確かめたりはしないので、すぐに忘れてしまってます。
モッタイナイ(^^;)
by enokorogusa (2020-01-19 20:51) 

middrinn

虫に喩えるのは失礼かもしれませんが、まるで啓蟄ですねぇ(^_^;)
ニッキー様、この後、別れちゃったり悲劇が襲ったらと懸念(-ω-、)
by middrinn (2020-01-19 21:01) 

middrinn

注釈書の補注などを読むと解釈上の論点での他説の他書との違いも理解できるのですが、
enokorogusa様、その違いが訳文にはっきりと表現されてなかったりしますね(^_^;)
by middrinn (2020-01-19 21:08) 

tai-yama

越前(=福井)と越後(=新潟)ではかなり違いますね。
赴任(このケースは赴任しているけど)しないケースが多いので
名前だけの可能性とは言え。高橋英樹さんが「越前製菓」と
言ったら大変なことになりそう・・・
by tai-yama (2020-01-19 23:07) 

ナベちはる

主人公とヒロインと結ばれる展開、嬉しくなりますね!
by ナベちはる (2020-01-20 00:25) 

middrinn

振り仮名が付いているので、校正時に、
tai-yama様、気付きそうなものなのに
気付かないのは完全に勘違いかと^_^;
by middrinn (2020-01-20 06:21) 

middrinn

そうなんですよぉ(^o^)丿 読んでる方も、
ナベちはる様、嬉しくなりますよね(^^)
by middrinn (2020-01-20 06:22) 

そら

センター試験の前後は仕方ないですね
しかしセンター試験の日ってどうして毎年寒いんですかね?
一昨年のウチの娘の時も寒かったなぁ。
by そら (2020-01-20 06:33) 

middrinn

しかも、雪になることも多いような(^_^;)
12月とかに実施すればいいんでしょうけど、
3年生のカリキュラムが消化できませんね(..)
by middrinn (2020-01-20 06:36) 

美美

ほんと毎年センター試験の時には雪が降りますね。
学生たちに最後の試練ということでしょうか(^^;
そのセンター試験も来年からはどうなるやら
by 美美 (2020-01-20 17:42) 

middrinn

若い内は色々と苦労すべきかも(@_@;)
一回りして共通一次に戻るとか(^_^;)
by middrinn (2020-01-20 18:27) 

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