他の著書との落差に本書の著者は同姓同名の別人28号なのかもと疑いは深まるばかり((;゚Д゚)ヒィィィ!

【読んだ本(バカチン)】

三木紀人『日本周遊古典の旅』(新潮選書,1990)所蔵本

本書の「著者」は「三木紀人」となっているが、分担執筆者の存在は「まえがき」に記され、その名
や担当章は「あとがき」で明らかにされてる(^^) だが、三木紀人執筆担当章には、講談社学術文庫の
『今物語』『徒然草』での充実した注釈ぶりからは考えられない間違った記述が散見され(「外の浜
──御伽草子集(明石物語)」の頭が悪いとしか言いようがない『曾我物語』の誤読を昨日指摘)、
実は出来の悪い院生か何かに書かせたものではないか?と疑っていた小生(@_@;) やはり三木紀人が
執筆した「野火止──伊勢物語」の章にも(埼玉県の新座市等の業平伝説の紹介や解釈は面白いが)
次の記述が∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですとぉ!?

    ・・・/この[第12]段の男は、歓待された都人[在原]業平のおもかげはまったくなく、
    国守に追われ、女を草むらの中に置きざりにする。そして、火攻めに会って、

      武蔵野は今日はな焼きそ若草のつまもこもれり我もこもれり

    と歌って女ともども捕えられてしまう。男の歌は民謡であったものの転用かと推定され、
    ・・・

『伊勢物語』第12段で同歌を詠んだのは「男」ではなく「女」の方だヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

保坂弘司『大鏡全評釈 上巻』(學燈社,1979)&同(全現代語訳)『大鏡』(講談社学術文庫,1981)
の同様の誤読誤訳を指摘済も(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-02-05 )、
片桐洋一『伊勢物語全読解』(和泉書院,2013)から同段の本文と訳を引いておく( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

    昔、男有りけり。人のむすめを盗みて、武蔵野へ率てゆくほどに、盗人なりければ、
    国の守にからめられにけり。女をばくさむらの中に置きて、逃げにけり。道来る人、
    「この野は、盗人あなり」とて、火をつけむとす。女、わびて、

      武蔵野は今日はな焼きそ若草のつまもこもれり我もこもれり

    とよみけるを聞きて、女をばとりて、ともに率て往にけり。


    昔、男がいたのである。その男が人さまの娘を盗んで武蔵野へつれて行く時に、
    やはり盗人であったので、国守に捕えられてしまった。女を叢[くさむら]の中に
    置いて、男は逃げてしまった。道をやって来る人が「この野には盗人がいるようだ」
    と言って、叢に火をつけようとする。女はつらがって、

      武蔵野は今日は焼かないでほしい。私の夫も隠れているし、私も隠れていますので。

    と詠んだのを聞いて、女をつかまえ、男ともども連行して行ったのである。

手元には他に森野宗明(校注・現代語訳)『伊勢物語』(講談社文庫,1972)、渡辺実(校注)『新潮
日本古典集成 伊勢物語』(新潮社,1976)、石田穣二(訳注)『新版 伊勢物語 付現代語訳』(角川
文庫,1979)、阿部俊子(全訳注)『伊勢物語(上)』(講談社学術文庫,1979)、福井貞助(校注・
訳)『伊勢物語』(片桐洋一&福井貞助&高橋正治&清水好子[校注・訳]『新編日本古典文学全集
12 竹取物語 伊勢物語 大和物語 平中物語』[小学館,1994]所収)があるが、どれも女が詠んだ歌と
解しているC= (-。- ) フゥー ちなみに、『伊勢物語』と言えば、確認しておかなければならないのが、
山口佳紀『伊勢物語を読み解く 表現分析に基づく新解釈の試み』(三省堂,2018)だが、同書は同段
を次のように訳しているけど、これとて女が詠んだ歌としているのは同じであるv( ̄∇ ̄)ニヤッ

    昔、男がいた。彼が人の娘を盗んで、武蔵野へ連れて行った時に、彼は盗人だ
    ということで、国司に捕縛されそうになった。そこで、男は女を草むらの中に
    置き去りにして、逃げ出そうとした。道をやって来た追手の人々は、「この野
    には盗人がいるそうだ」と言って、火をつけようとした。女が悲しんで、

     武蔵野は、今日は焼かないで下さい。(若草の)夫も隠れているし、
     私も隠れている。

    と詠んだのを男が聞いて、女の手を取って、一緒に連れて去ったのであった。

老眼ゆえ著者は「三木記人」という別人なのを見落としてしまったかと何度もルーペで確認(@_@;)