淡路島はナポレオン一世が流されたエルバ島のようなものだったりして〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
と思ったら、隠岐島に流されたのにナポレオンと同じように復位した天皇がいたな((;゚Д゚)ヒィィィィィ!

【読んだ本】

村尾次郎(日本歴史学会編集)『桓武天皇』(吉川弘文館人物叢書,1963→1987新装版)

「皇族の流刑地淡路島」という見出しで次の件が本書168頁にあってチト気になってしまった(@_@;)

    /淡路島は、佐渡や隠岐とはちがい、都にも近く、風光も美しい瀬戸内海の大島である。
    しかし、幽囚の人にとっては、近いも、美景もあったものではない。対岸にある須磨の関
    (摂津と播磨の国堺一の谷のあたりか)が天国と地獄との境目だ。そのために淳仁天皇は
    幽憤のはてに脱走して兵にかこまれて崩じ(七六五)、早良太子は島送りを拒絶する決意
    を護送途上での死によって示した(七八五)。・・・

桓武天皇は氷上川継事件でその母の不破内親王(聖武天皇の皇女)も淡路へ流罪としたけど(@_@;)
この頃に「須磨の関」のことを「天国と地獄との境目」などと表現したものがあったのかな(@_@;)
犬養孝『万葉の旅(下)山陽・四国・九州・山陰・北陸』(現代教養文庫,1964)の兵庫県の「明石
大門」の項には「こんにちの観光瀬戸内海も、人力で漕ぐ木造船に身をゆだねて四国・九州・大陸へ
とむかう万葉人にとっては、潮と波の恐れ以外のものではない。まして、明石海峡、〝夕されば潮を
満たしめ明けされば潮を干しむ〟時速一〇キロの流れの自然の脅威は往還につけての難関であり、
逆潮には潮待ちするほかない。」とあるように「明石海峡」が「難関」だからかな(@_@;) しかし、
和泉国や紀伊国から穏やかな紀淡海峡を渡って淡路へ行くルートを当時は採らなかったのか(@_@;)