読書の厄介なところは、東大教授はちゃんと逃げ道を用意している点である〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
反証を挙げられても言い抜けられる用意周到な立論は、官僚の国会答弁を連想してしまった(⌒~⌒)ニヤニヤ

【読んだ本】

上村悦子(全訳注)『蜻蛉日記(上)』(講談社学術文庫,1978)所蔵本

昨日に続いて、今日もまた本書から本文の一部を現代語訳と一緒に引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・/また、ほど経て、見えおこたるほど、雨など降りたる日、「暮に来む」などや
    ありけむ、

      柏木の森の下草くれごとになほたのめとやもるを見る見る

    返りごとは、みづから来てまぎらはしつ。/・・・


    ・・・/また、しばらくたって、訪れがとだえているころ、雨などが降ったりしていた日、
    [兼家は]「夕方伺うつもりです」などと言いよこした折だったかしら、私[=作者]は、

      柏の木からしたたる露に夕べごとに下草が濡れるように、あなたの庇護のもとに
      ある私は夕暮ごとに悲しみの涙を流しているのにやはりあなたをあてにして
      待っていよとおっしゃるのですか。来るのお言葉があてにならないのを知りつつ。

    [と詠んで贈るも]この返事は、ご当人がやって来て、うやむやにしてしまった。/・・・
        
多田一臣(校注)『日本霊異記 中』(ちくま学芸文庫,1997)が「雨にはつよい呪力があると信じら
れていたから」「雨に濡れることは一種の禁忌[タブー]」だった云々と記してるのに疑問を感じる
旨を書いたが(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-09-29 )、感心するのは、
「雨の夜の通い」は「例外的なものであった」として、〈雨の夜には男は女のもとに通わなかった〉
などと言い切ってない点(^_^;) 男が女のもとに通うのは、お月様も出てるような晴れた夜である、と
断定してしまうと、(コメ欄で紹介した)中務(←伊勢タンの娘で有名歌人)や伊衡女が詠んだ歌、
そして、上記の藤原兼家のケースのように(また兼家が激しい雨でも外出してることは昨日紹介)、
雨の日でも男が女のもとへ通っていた事実から、容易に反証・否定されちゃうオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!
多田一臣の論なら中務・伊衡女・兼家の各事例も「例外的なもの」として言い包められるわな(^_^;)
でも、多田一臣の論理だと雪や台風の夜に男が女の邸へ通った例が少ないことをもって雪や台風には
「つよい呪力があると信じられていたから」云々といった奇説も立論可能だし、そもそも男が女の邸
へ通うのが雨の夜は少なく月も出てる晴れた夜に多いのは雨だと外出が億劫だから・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
月夜になると男が女のもとへ通うのはアーノルド・リーバー(藤原正彦&美子訳)『月の魔力 バイオ
タイドと人間の感情』(東京書籍,1984)が解き明かし・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;トンデモ本の世界じゃん!