読書の厄介なところは、読み易い翻訳物はチト怪しいことである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
原文から修飾や形容など削ぎ落としてスッキリさせたから読み易い訳になったのかも(@_@;)

【読んだ本】

原田敏明&高橋貢(訳)『東洋文庫97 日本霊異記』(平凡社,1967)

中田祝夫(全訳注)『日本霊異記(上)』(講談社学術文庫,1978)から『日本霊異記』上巻26話の
冒頭部分の訓み下し文と現代語訳を引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    /大皇后の天皇のみ代に、百済の禅師有りき。名をば多羅常[たらじゃう]と
    曰[い]ひき。高市郡の部内の法器山寺に住みき。・・・

    /持統天皇の御代に、百済の国出身の高僧がいた。名を多羅常といった。
    大和国(奈良県)高市郡の法器山寺に住んでいた。・・・

中田祝夫(校注・訳)『新編日本古典文学全集10 日本霊異記』(小学館,1995)はともに同文だし、
小泉道(校注)『新潮日本古典集成 日本霊異記』(新潮社,1984)の訓み下し文もほぼ同文だけど、
出雲路修(校注)『新日本古典文学大系30 日本霊異記』(岩波書店,1996)の訓読文(同書40頁)は
次のようになってた(@_@;)

    /大皇后天皇の代[みよ]に、百済禅師有り。名[なづ]けて多羅と曰[い]ふ。
    常に高市郡の部内の法器山寺に住み、・・・

禅師の名前、「多羅常」と「多羅」のどちらが正しいんだ(@_@;) 『日本霊異記』の原文は漢文で、
「大皇后天皇之代有百済禅師名曰多羅常住高市郡部内法器山寺・・・」のどこに句読点等を打つかに
よるわけだが、これと言って、決め手は無さそう(@_@;)

ところが、原田敏明&高橋貢(訳)『東洋文庫97 日本霊異記』(平凡社,1967)51頁の訳文を見て
吃驚仰天∑( ̄ロ ̄|||)ニャンじゃそりゃ!?

    /持統天皇の御世に百済の禅師がいて、名前を多常といった。高市郡の法器山寺に
    住んでいた。・・・

この原文から「多常」なんて、どうやったら出てくるんだ( ̄◇ ̄;) 前掲・新潮日本古典集成本巻末
「付録」の「古代説話の流れ」の本話の項に次のように記されていたお蔭で(同書378頁)、この謎は
解けたけど、東洋文庫本は「多常」に訳注を付けて一言あるべきだろ(ノ ̄皿 ̄)ノフシンセツ!┫:・’

    ・・・『本朝高僧伝』巻四六に、多常伝(「多常」は本書の流布本によったもの)を
    のせる。/

この東洋文庫本、上巻28話の役小角(役行者)の例の説話でも「・・・よわい三十有余で、・・・」
と訳している箇所があるんだけど(本書53頁)、当該箇所の原文は「・・・晩年以四十余歳・・・」
で前掲書はどれも「・・・晩[く]れにし年四十余歳を以て、・・・」といった風に訓み下してて、
「・・・初老を過ぎた四十余歳の年齢で、・・・」(講談社学術文庫本)、「・・・初老を越えた
四十有余歳の齢[よわい]で、・・・」(新編日本古典文学全集本91頁)、「・・・晩年ともいえる
四十余歳の年齢で、・・・」(新潮日本古典集成本83頁)と訳してる(新日本古典文学大系本の脚注
には訳が無い)オホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ! もし東洋文庫本の訳文が底本の通りで誤訳ではないのなら、
底本のチョイスを誤ったし、他の伝本との照合など校訂を怠ってるかと〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
訳文は読み易いけど、原文も訓み下し文も載ってないから、読者は正しいかチェック出来ぬ(´・_・`)
平凡社ライブラリーから2000年に再刊されてるけど、訳注加筆や本文修正はされてるのかな(@_@;)

[追記210910]

多田一臣(校注)『日本霊異記 上』(ちくま学芸文庫,1997)は「・・・晩れにし年四十余歳を以て、
・・・」(同書197頁)で「・・・晩年ともいえる四十余歳の年齢になって、・・・」(同書201頁)、
「大皇后の天皇のみ代に、百済の禅師有りき。名をば多羅常と曰ひき。高市の郡の部内の法器の山寺
に住みき。・・・」(同書188頁)で「持統天皇のみ代に、百済の国出身の高僧がいた。名を多羅常と
いった。この僧は、大和国高市郡の法器の山寺に住んでいた。・・・」(同書189頁)としてる上に、
「多羅常」の語注で〈・・・「多常」とする本文もある。・・・〉と(同書188頁)_φ( ̄^ ̄ )メモメモ