読書の厄介なところは、赤か白かの決定はワインだけではないことである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
ヒュー・ジョンソンも言ってた、紅白歌合戦の審査員もあると・・ヘ(__ヘ)☆\(^^; 「サクラ大戦」を
全く知らないのに、主題歌「檄!帝国華撃団」のサビの部分が福田周平の所為で頭から消えない(^_^;)
先週末のMXテレビの京セラドームからのホークス戦中継は3試合全て消音で視聴オホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

【読んだ本】

久保田淳『新古今和歌集全注釈 六』(角川学芸出版,2012)所蔵本

源経信が詠んだ歌を川村晃生&柏木由夫&工藤重矩(校注)『新日本古典文学大系9 金葉和歌集 詞花
和歌集』(岩波書店,1989)所収の川村晃生&柏木由夫(校注)『金葉和歌集』から歌の大意を含めて
(繰り返し符号は用いずに)引く(⌒~⌒)

     むかし道方卿に具して筑紫にまかりて、安楽寺[現・太宰府天満宮]に参りて
     見侍りける梅の、わが任に参りて見ければ、木の姿はおなじさまにて花の老木
     [おひき]にてところどころ咲きたるを見てよめる

    神垣に むかしわが見し 梅の花 ともに老木と なりにけるかな

     この神社の垣に、昔私が見た梅の花は、私が老いるのとともに老木になったことだよ。

同書の脚注と正宗敦夫『金葉和歌集講義』(自治日報社,1968)から、詠作事情・背景となる事実関係
を拾うと、経信の父の道方は長元2年(1029年)1月24日に大宰権帥となって経信14歳も同行したが、
後に経信も大宰権帥として嘉保2年(1095年)7月に筑紫へ下向し、永長元年(1096年)春にこの歌を
詠むも(81歳)、翌永長2(承徳元)年(1097年)閏正月6日に任地の大宰府で薨じており(82歳)、
67年ぶりの梅の木に経信も感慨深いものがあっただろうけど、事実関係を知るとヨリ味わい深く感じ
られる歌かと(⌒~⌒) 経信の子である撰者の源俊頼が巻第九の巻頭歌としたのも、然もありなん(^^)

さて、さて、さ~て!源経信が歌に詠んだこの梅の木は例の飛梅伝説の梅の木なのだろうか(@_@;)

小町谷照彦(校注)『新日本古典文学大系7 拾遺和歌集』(岩波書店,1990)には「流され侍ける時、
家の梅の花を見侍て」という詞書で入っている道真の歌「東風吹かばにほひをこせよ梅花主なしとて
春を忘るな」の脚注で「道真は梅を愛好し、その邸宅は紅梅殿と呼ばれた」とあるし、飛梅伝説では
浅見和彦(校注・訳)『新編日本古典文学全集51 十訓抄』(小学館,1997)だと「紅梅殿の梅の一本
の枝が、筑紫まで飛んで行き、そのまま生えついたという」由、「紅梅殿」は「道真の邸宅。・・・
見事な紅梅があったことから名づけられた。」と頭注にあるので、飛梅伝説の梅は紅梅かと(⌒~⌒)

では、この源経信の歌の梅はどうかと言えば、久保田淳は本書の「情けなく折る人つらし我が宿の主
忘れぬ梅の立ち枝を」の「鑑賞」において、この歌を挙げた上で『大納言経信集』のこの歌の小序も
引用してて、その中に「紅艶香気」とあり、次の一文で〆られてる∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですとぉ!?

    ・・・この[経信の歌の]梅は紅梅であったと知られるが、現在の飛梅は白梅である。/

太宰府天満宮の本殿の御神木「飛梅[とびうめ]」をネットで見ると、たしかに白梅ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ