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210711読んだ本

読書の厄介なところは、知的愉しさに満ちるも変なところで頭が疲れる本である〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)

【読んだ本】

樋口健太郎『摂関家の中世 藤原道長から豊臣秀吉まで』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー,2021)

読了(^o^)丿 著者の『九条兼実 貴族が見た『平家物語』と内乱の時代』(戎光祥選書ソレイユ,2018)
も勉強になり面白かったけど(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-09-08 )、
藤原道長の子孫が天皇の外戚から転落しても院政が開始されても摂政・関白の地位を維持して幕末の
最後の関白・二条斉敬までほぼ独占も、そんな藤原氏一族という「家」ではなく、天皇を中心とした
王権を構成する存在としての「摂関」の部分に重きを置いて、「摂関家」の歴史を平安時代から江戸
時代まで叙述した本書は、メチャ勉強になったし、チョー面白かったぞヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪

    「望月」のあと──プロローグ

      摂関政治と藤原道長/道長一族のその後/本書の視角/

    摂関政治の時代

     摂政・関白とは何か

      摂政の職掌/関白の職掌/准摂政と内覧/藤氏長者と殿下渡領/

     摂政・関白の成立

      太政大臣と摂関/幼帝即位と摂政/母后と摂政/関白と上皇/

     摂関政治期の〈摂関家〉

      摂関継承と天皇外戚/兼家の抗争と策謀/中関白家の栄光と没落/
      道長の覇権と御堂流/

    院政の時代

     頼通・教通と後三条天皇

      道長の後継者/頼通・教通兄弟の対立/頼通子息のスピード昇進/
      教通の関白就任/後三条天皇と御堂流/白河天皇と師実/

     院政の開始と摂関家

      師実・頼通の時代/白河上皇の浮上と忠実/中世摂関制の成立/保安元年の政変/

     荘園と家政機関

      荘園の集積と拡大/家政機関と家司・職事/家司・職事の一族/

     保元の乱

      鳥羽院政と忠通/大殿忠実の復活/忠通と頼長/忠通の反撃/頼長の挙兵/

    武家勢力と戦乱の時代

     平家権力と摂関家

      保元の乱後の摂関家/平治の乱/基実と基房/基実の急死と財産相続/
      摂関基房と平氏/

     摂関家の分裂抗争と戦乱

      兼実の台頭/戦乱の発生と拡大/寿永二年の「君臣合体」/基房の復活/
      頼朝と摂関家/兼実の内覧宣下/

     近衛・九条流の対立

      摂関家領をめぐる相論/建久七年の政変/通親政権と基房/近衛・九条流の固定化/
      良経の急死と九条流/

    五摂家分立

     摂家将軍と九条道家

      摂家将軍の誕生と承久の乱/道家の復活/近衛・九条流の合体/松殿流の消滅/
      道家の摂関家再編と東福寺/寛元の政変/

     摂関家の再分裂

      鷹司家の成立と近衛家/道家失脚後の九条流/五摂家の確定/
      後深草・亀山院の対立と鷹司兼平/

     「執政」からの転落

      貴族政権の変化と摂関家/二条家と即位灌頂/分裂する九条家・一条家/
      持明院統と鷹司家/後醍醐天皇の摂関家統制/

    南北朝から戦国へ

     南北朝の内乱と二条良基

      建武政権の関白廃止/南北朝の分裂と五摂家/藤氏一族と近衛経忠/
      北朝の消滅と再建/都落ちする天皇と関白/二条良基の長期政権と義満/

     室町将軍と摂関家

      将軍に奉仕する摂関/摂関家化する将軍家/一条家の台頭と二条家/
      一条兼良と後花園天皇/室町時代の近衛・鷹司・九条家/応仁の乱と五摂家/

     戦国の摂関家

      五摂家の序列変動/九条政基の殺人と在荘/土佐の一条家/将軍義晴と近衛家/
      関東に下向する関白/信長と五摂家/

    中世摂関家の終着点──エピローグ

      秀吉の関白就任/豊臣摂関家の興亡/近世の摂関家/

    摂政・関白一覧

    系図

    あとがき

    参考文献

本書を読んで、倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」』(講談社学術文庫,2009)全三巻
でイミフだった記述の意味も解ったし、何よりも従来の歴史認識を改めさせられたことが大きい(^^)
「通説では、白河天皇の譲位は院政のはじまりとされているが、これは実は安定的な摂関政治の復活
だったのである。」(63頁)、「通説では、堀河の即位は、白河上皇が院政開始を目的に行ったとか、
これによって院政が開始されたとかいわれているが、近年の研究では、退位当初の白河は国政一般に
関与せず、政治の実権は師実によって握られていたことが明らかになっている。」(64頁)、「また、
通説ではこの時期[=師通・師実の没後]の天皇家と摂関家は対立的な存在として理解されることが
多いが、実際には白河と摂関家の関係も悪かったわけではない。忠実は父師通・祖父師実を早く失い、
知識不足・経験不足のまま内覧という大任を任されることになってしまったが、こうした忠実に対して、
ときには儀式作法を教え、ときには後三条の日記を貸し出すなどして、手をさしのべていたのは白河
だった・・・」(71頁)、「このように、院政が本格的に開始するとともに、摂関は内裏に入れない
院に代わって、天皇と院との間をつなぎ、院の指示を受けて天皇を後見、補佐するという役割を担う
ことになった。」(76頁)、「通説では、保元の乱によって摂関家は壊滅的な打撃をうけたとされて
いるが、以上のような忠通の姿からすると、それは必ずしも当たらない。」(100頁)、「この事件
[=賀茂祭での忠通と信頼のトラブル]は、通説では信頼の台頭と摂関家の凋落を決定づける事件
として評価されてきたのだが、このように見てくると、実は忠通の方が存在感を示した事件といって
よいだろう。」(102頁)等々・・・目から鱗ポロポロ( ̄◇ ̄;) そもそも「・・・摂政は幼帝即位に
ともなって天皇をそばで支えた母后の分身、関白はそれまで天皇を補佐・後見した上皇の代わりで
あった。」(32頁)と( ̄◇ ̄;) 9世紀に幼帝が即位して摂関政治が成立した時期、天皇の住む内裏に
天皇の母親である母后が同居することとなり、母后の父や兄弟も内裏に直廬と呼ばれる控え室が与え
られ、日常的に母方の一族に囲まれ守られて成長した天皇は、彼らに政務を委ね、判断を彼らに諮る
こととなったわけで、天皇の外戚の地位から転落した院政期も摂関は内裏に直廬を持ち、摂関の娘や
妻が養母とされ内裏で天皇を後見する場合が多く、他方で天皇は退位すると内裏から退出して後院に
移るのが通例となったため上皇が内裏に入ることはタブーとなったという状況がその背景に( ̄◇ ̄;)
平安末期以降も摂関はその役割・機能を変えながら生き延びるわけだけど、長くなるので省略(^_^;)
でも、まとめ的な記述を一つだけ239~240頁から引いておこう〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・/こうした秀吉の関白就任は一見突飛に見えるが、本書では、平安末期以来、
    摂関家が武家と一体化していったこと、南北朝以降は、摂関家の存在意義が模索され、
    将軍家の公事師範として将軍家に接近したこと、そして戦国期以降は天皇との関係を
    希薄化させた摂関家がしだいに武家化し、将軍家との関係をさらに強めて一体的な
    存在になったことを見てきた。こうした流れから見れば、摂関家は中世を通して
    武家との一体化、あるいは武家化を進行させてきたのであり、逆に武家が関白に
    なるのも自然な流れであったといえるだろう。戦国時代には、関白は朝廷の政務・
    儀礼にも関与しなくなっており、近衛龍山がいうように、もはや五摂家より、
    天下人である秀吉にこそふさわしい地位になっていた。つまり秀吉の関白就任とは、
    中世摂関家の一つの終着点だったのである。/・・・

摂関の地位争いは熾烈で浮き沈みも激しい上に似た名前が多いから読んでて愉しいけど疲れた(^_^;)

タグ:歴史
コメント(8) 

コメント 8

ネオ・アッキー

middrinnさんこんばんは。
歴史小説も、偶には読む価値がありそうですね。
by ネオ・アッキー (2021-07-11 21:56) 

tai-yama

近衛前久は秀吉を養子にしているし・・・。まぁ、藤原家の名跡を
売ったりもしていたぐらいで。でも、武家摂政は居ないですね。
by tai-yama (2021-07-11 23:25) 

ナベちはる

「愉しさに満ちる」も変なところで頭が疲れるのは、複雑な気持ちになりますね(^^;
by ナベちはる (2021-07-12 01:00) 

そら

うん〜・・・
いつの世も裏で牛耳っている者がいるものですね
でもその方が政治も上手く回るということかしらん!
by そら (2021-07-12 06:50) 

middrinn

いい歴史小説なら、小説を楽しめるだけでなく、
ネオ・アッキー様、歴史も学べますしね(^^)
by middrinn (2021-07-12 10:00) 

middrinn

谷口研語『流浪の戦国貴族 近衛前久 天下一統に翻弄された生涯』
(中公新書,1994)が、その経緯を詳述してますけど、チト強引に、
tai-yama様、秀吉は近衛前久の猶子となったようですけどね(^_^;)
「戦国時代になると、即位儀礼にともなう費用を節減するため、
天皇の在位が長期化し、幼帝の即位がなくなった。これまでも、
天皇と摂関家の姻戚関係は失われた状態が続いていたが、幼帝が
いなくなったことで、摂関家は摂政として幼少期から天皇の成長を
見守り、その役割を代行することがなくなり、摂関家と天皇の関係
はいっそう希薄化した。」と本書220頁にあり、武家摂政どころか
摂関家からも摂政が出なかったようで、巻末の「摂政・関白一覧」
によると、摂政は後花園天皇の時の二条持基が最後です( ̄◇ ̄;)
by middrinn (2021-07-12 10:10) 

middrinn

決して心地好い疲れではないのですが、
ナベちはる様、この疲れがあってこそ、
知的に愉しめたので難しいです(^_^;)
by middrinn (2021-07-12 10:13) 

middrinn

衆議に諮るよりも、何事も早く決まるイメージが、
そら様、ありますが、実際どうでしょうね(^_^;)
by middrinn (2021-07-12 10:16) 

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