読書の厄介なところは、受験で暗記させられた知識が疑わしくなることである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)

【読んだ本】

倉本一宏(全現代語訳)『藤原行成「権記」(中)』(講談社学術文庫,2012)

嵯峨天皇、橘逸勢、空海の「三筆」と一緒に「三蹟」として小野道風、藤原佐理、藤原行成の3人も
暗記させられたものだが、小野道風ではなく兼明親王(源兼明)を数える説もあるみたい( ̄◇ ̄;)

例えば、後藤昭雄&池上洵一&山根對助(校注)『新日本古典文学大系32 江談抄 中外抄 富家語』
(岩波書店,1997)所収の山根對助&後藤昭雄(校注)『江談抄』(大江匡房の言談を藤原実兼[=
信西の父]が筆録)第二の二三「兼明・佐理・行成等同の手書きの事」(同書47~48頁)を引くが、
[ ]内は(振り仮名を除いて)同書47頁の脚注から補ったものである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    「兼明・佐理・行成の三人は等同[=同等の]手書き[=能筆]なり。おのおの皆、
    様は少しく相乖[あひたが]ふなり。後の人、殿最[でんさい=優劣。「殿は劣る、
    最はすぐれていること。」]を決し難きか。故源右相府[=源師房]曰はく、
    「行成卿は、世人、道風に劣ると謂[おも]へるか」と。まことは佐理・兼明に
    等[ひと]しとなむ、世人は称[い]ひける」と。

同時代とまでは言えないけど、兼明親王、藤原佐理、藤原行成をセットで挙げるのが当時の認識で、
源師房の言を見ると、小野道風は別格なのかしら(@_@;) 興味深いのは、藤原行成の日記『権記』
の長保5年(1003年)11月25日条で、本書306頁から引く(@_@;)

     二十五日、辛亥。 小野道風に書法を授けられる夢想

    内裏に参った。東宮[居貞親王=後の三条天皇]の許に参った。目染の裳を返却した。
    弾正宮[為尊親王]の許に参った。/この夜の夢に、野(小野)道風に逢った。
    おっしゃって云ったことには、「書法を授けよう」と。雑事を言談した。

小野道風は康保3年(966年)没らしく、藤原行成は天禄3年(972年)生まれゆえ、面識は無い(^_^;)