色々な鳥さんが来るのに、泰山木に設置した市販の巣箱、去年も入居せず、廃屋化しつつある(-ω-、)

【買った本&読んだ本(バカチン)】

駒田信二『艶笑植物事典』(文春文庫,1987)

「もったいない本舗 楽天市場店」で「良い」362円を12日注文し15日届く(^^) コンディション説明文
はテンプレ(実は2種類あり、以前は同じ「良い」でも、「非常に良い」に近い「良い」と、「可」に
近い「良い」に、それぞれ対応してたが、最近は対応せず)なので省略〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
全身が焼けてるなにわのブラックダイヤモンド橋本梨菜みたいだが、書き込み等ナシオン主権(^o^)丿

梅を取り上げた「1 梅といえば唾がたまる」の枕の部分、『古今和歌集』の仮名序の一節を引いて、
この「花」はモチ梅の花であるとし、「ある古語辞典を引いてみたところ」、「はな〔花〕」は桜の
ことばかりで「梅のうの字も書かれていない」が、「同じ出版社から出ている国語辞典の方には」、
「はな〔花、華〕」の項に〈特に桜の花、また梅の花。/と書かれてあって、「花」に関する限り、
どちらが古語辞典なのかわからない。〉と皮肉(@_@;) このネタは駒田信二『漢字読み書きばなし』
(文春文庫,1994)でも実は使われていて、「ある古語辞典」とは『岩波古語辞典』、「国語辞典」は
『広辞苑』第二版であることも同書の方ではちゃんと明らかにしているオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

    ・・・/村上天皇のとき、清涼殿の梅の木が枯れたので、勅令で西京の紅梅を
    移し植えたが、その家の女主人は運ばれてゆく梅の木の枝に、

      勅なれどいともかしこし鶯の宿はととはばいかに答へん

    と詠んだ短冊をつけた。この女主人は紀貫之の娘であることがわかり、天皇は
    その歌の心を汲んで梅の木を返した、ということが『大鏡』『拾遺和歌集』
    『十訓抄』などに記されている。/この紅梅を「鶯宿梅[おうしゅくばい]」
    といい、鶯が天皇の所望をおしとどめたという意味で、鶯のことをまた
    「禁鳥[とどめどり]」ともいう。/・・・

『拾遺和歌集』は「この女主人は紀貫之の娘である」とか記してないヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

小町谷照彦(校注)『新日本古典文学大系7 拾遺和歌集』(岩波書店,1990)から引く( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

      内より人の家に侍ける紅梅を掘らせ給けるに、鶯の巣くひて侍ければ、
      家主の女まづかく奏せさせ侍りける

    勅なればいともかしこし鶯の宿はと問はばいかゞ答へむ

       かく奏せさせければ、掘らずなりにけり

       宮中からある人の家にあった紅梅を掘り取って献上させようとしたところ、
       鶯が巣を作っていたので、家の女主人がまずこのように奏上させた歌。

     勅命だから、この紅梅を献上することを断わるのは、まったく畏れ多いことだが、
     もし鶯がやって来て、いったい私の宿はどこに行ってしまったのだろうか、
     と問うたならば、どのように答えようか。

御覧の通り、『拾遺和歌集』はこの歌の作者名を伏せているし、話の筋も少し異なるC= (-。- ) フゥー

目崎徳衛(日本歴史学会編集)『紀貫之』(吉川弘文館人物叢書,1961→1985新装版)も引く(⌒~⌒)

    ・・・/時文が気の毒にも後世不肖の子視されたのと反対に、貫之女はむしろ才媛
    として有名となった。『大鏡』によれば、村上天皇の時清涼殿の前の梅の木が
    枯れたので、ある蔵人の命を受けた侍が京の市中を求め歩いて、西京のとある家の庭で
    名木を見付けてこれを掘り取った。すると家の主が、

      勅なればいともかしこし鶯の宿はと問はゞいかゞこたへん

    というやさしい抗議の歌を枝に結びつけて奉った。帝は不思議に思って歌主を探させた
    ところが、それは貫之女であったという。この逸話は『拾遺集』に見える歌とその詞書
    を基にして作られたのだが、『拾遺集』には歌の作者名を記していないから、これを
    貫之女としたのは『大鏡』の創作であろう。一体『大鏡』はこの木を掘りとった侍を
    『大鏡』の架空の語り手の一人である百四十歳翁「夏山重木」その人とし、重木が
    自分の失敗談を告白した形をとっている。そしてその重木はまた例の貫之が蟻通明神に
    奉る歌を詠んだ旅行にも貫之に随行したことになっている。これは『大鏡』の著者が
    語り手の長寿を読者に実感させる手段として、世に有名な貫之とその一族を使ったので
    ある。こういう楽屋裏が解って見ると、貫之女の才媛ぶりも少なからず割引せざるを
    えない。そればかりでなく貫之女が実在した証拠も確かなものはないという困ったこと
    になるのである。・・・

この歌徳説話で『大鏡』は貫之女を「西京」に住まわせるが、浅見和彦(校注・訳)『新編日本古典
文学全集51 十訓抄』(小学館,1997)は貫之女の家の場所を記してなく、『土佐日記』と『無名抄』
の手元の各注釈書を見ると、紀貫之の家も「西京」ではない(@_@;) そもそも「西の京」と言えば、
廃れている地域と『伊勢物語』の各注釈書が揃って指摘しており、貴族は住まないらしいね(@_@;)
では、何故『大鏡』は貫之女を「西京」在住と設定したのか、本書は痴的だけど知的な考察を(^o^)丿
本編に満載の駒田信二らしいエロ噺、上品な拙ブログは紹介しない( ̄^ ̄)ヾ( ̄o ̄;)タグに18禁が?