「歴女」という言葉が誕生・注目されたのは、女性は歴史が苦手と思われていたからかしら(@_@;)

【読んだ本(バカチン)】

天野慶(著)Kei(画)『百人一首百うたがたり』(幻冬舎エデュケーション,2013)

「はじめに」の左隅(3頁)に小さ~く「*この物語は史実に基づいたフィクションです」とあるが、
伊勢タンの「難波潟 短き葦の ふしの間も 逢はでこの世を すぐしてよとや」の書き出し(61頁)は
「史実に基づ」くどころか、歴史を改変してるじゃんヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

    /私、新しい恋をいたしました。/愛する人を亡くしたばかりなのに
    もう次の方にときめいてしまうなんて、私も戸惑いました。それも
    亡くなった恋人のご子息だなんて……。/宇多天皇、そして
    その第四皇子であられる敦慶親王。このおふたりが私の恋のお相手で
    ございます。/・・・

ウダダを「亡くしたばかり」なのに「亡くなった」ウダダの子の敦慶親王と恋にとあるが、ウダダが
承平元年(931年)に亡くなる前の延長8年(930年)に敦慶親王は没ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

    ・・・伊勢と中務卿敦慶親王は、音楽を通じて急速に親しくなったように思われるので
    あるが、二人のこのような関係は、いったい、いつの頃から始まったのであろうか。/
    その第一の手がかりは、二人の間に生まれた娘である中務の年齢である。平安時代の
    女房歌人の常として、彼女の生没年を確定することは出来ぬが、『日本古典文学大辞典』
    (岩波書店)に書いたように、延喜十二年(九一二)頃に生まれ、永祚元年(九八九)
    より後に、数え年八十一歳以上で没したと考えられる。とすれば、伊勢が中務卿敦慶親王
    の寵を受けたのは延喜十二年(九一二)より少し前であったということになろう。/・・・

このように、片桐洋一『日本の作家7 恋に生き 歌に生き 伊勢』(新典社,1985)は推定しているが、
「延喜十二年(九一二)より少し前」、ウダダは健在で「亡くなっ」てないオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

    ・・・/[藤原仲平との恋に破れ]傷心の私は田舎に戻り、静かに心の傷を癒して
    おりました。しばらくのち、[ウダダの后で仲平の姉]温子さまよりふたたびお仕え
    するように熱心な文をいただき、優しく退屈なふるさとに別れを告げ、都へと戻り
    ました。/宮中に戻った私を待っていたのは、私を捨てたはずの仲平さまでした。
    そして、その弟君であられる時平さままで恋文をくださって。/・・・

本書61~62頁から引いたが、仲平との破局後に伊勢タンが訪れた大和(過去に住んだことはある)を
「田舎に戻り」とか「ふるさと」としてるけど、当時、大和守だった父親の任地に赴いただけだし、
言うまでもないことだが、藤原時平は藤原仲平の「弟君」ではなく兄ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

この現代女流歌人、奥付に次のような紹介あるが、こんなデタラメ教えてるのかエッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?

    ・・・京都・時雨殿での「はじめての百人一首教室」をはじめ、全国の小・中学校に
    向けてワークショップを行い、短歌・百人一首の魅力を発信している。・・・

「幻冬舎エデュケーション」、間違いだらけの本書も「教育関連書籍」扱いなのかな((;゚Д゚)ヒィィィ!

・「兼家の死後、息子の道隆・道兼が摂政となる」だなんて歴史を勉強し直せオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-01-02

・「父は私を含め子どもたちを出世させなかった」だなんてデタラメヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

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