今日ブックオフは本一割引きだぁ!と最近ときめかないのもコロナの所為(-ω-、)ヾ( ̄o ̄;)老化だろ?
メチャ疲れてたから昨夜も寝落ちしてしまった(^_^;) 活字の大きい文庫本には感謝するしかないm(__)m

【読んだ本】

宮崎莊平(全訳注)『紫式部日記(上)』(講談社学術文庫,2002)所蔵本

    「おづ」は、恐れる。こわがる。実資は詠歌などに不得手なため、祝杯の廻って
    来るのを恐れていたのである。

敦成親王の御五十日の儀の祝宴での藤原実資の様子を形容した「おぢたまへど」の本書の語釈だが、
「実資は詠歌などに不得手」というのは、何か根拠があるのかしら(@_@;) 和歌は「不得手」と実資
自身が洩らした発言が日記『小右記』や他の貴族の日記等に記されているか、あるいは実資の詠んだ
和歌を評して宮崎莊平が「不得手」と断じたのかしら(@_@;) とはいえ、前者は謙遜しての発言かも
しれないので、結局は(後者の)実資の詠歌を宮崎莊平が「不得手」と判断したんだろうね(@_@;)

実資の歌は八代集では『拾遺和歌集』と『新古今和歌集』に各1首が入ってるだけで(前者は源致方が
下句を付けたもの)、他に藤原公任との贈答歌が『公任集』に数首あるのに気付いたけど、素人の小生
には「不得手」かどうかは判らないなぁ(´・_・`) なお、『公任集』を調べた時に犬養廉&後藤祥子&
平野由紀子(校注)『新日本古典文学大系28 平安私家集』(岩波書店,1994)の人名索引を見たら、
ミスがあるのを発見(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-09-12 )ヾ(`◇´)ノ
また保坂都『大中臣家の歌人群』(武蔵野書院,1972)は伊勢大輔タンとの贈答歌が『伊勢大輔集』に
あって、その歌が勅撰集『続後撰和歌集』にも実資の作として入集していることを紹介しているが、
久保木哲夫(校注・訳)『私家集注釈叢刊2 伊勢大輔集注釈』(貴重本刊行会,1992)は当該歌の作者
を実資とするのを否定してて、久保木哲夫の論が説得力あると愚考する〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

『小右記』の現代語訳を読んでいると、和歌が詠まれた場にいたり、自ら和歌を詠んだりした記述も
ないわけではない(例えば、倉本一宏編『現代語訳 小右記1 三代の蔵人頭』[吉川弘文館,2015]は
永観2年[984年]12月22日、寛和元年[985年]3月4日、同3月6日、同3月16日、永延2年[988年]9月
17日、同10月6日の各条)_φ( ̄^ ̄ )メモメモ 要注目なのは倉本一宏編『現代語訳 小右記3 長徳の変』
(吉川弘文館,2016)115頁の長保元年(999年)9月10日条C= (-。- ) フゥー

     十日、己丑。 嵯峨に遊ぶ/御前作文会/行成の辞表返却

    密々に嵯峨に向かい赴き、心情を休み慰めた。大井に於いて食した。いささか
    和歌の興が行なわれた。月に乗じて帰った。相伴したのは右兵衛督[源憲定]・
    右近源中将(頼定)・侍従(源敦定)・右馬頭(藤原通任)・太皇太后宮権亮
    (藤原景斉)・(中原)致時・(源)守隆・(源)兼澄・(藤原)伊祐の朝臣。
    源中将が語って云ったことには、「昨日、天皇の御前に於いて作文会が行なわれた。
    題に云ったことには、『草樹は秋声を滅ず』と〈同を韻とした。七言六韻。〉。
    これは密宴の遊興である」と云うことだ。「左右大臣(道長・藤原顕光)・宰相中将
    [藤原斉信]が、天皇の御物忌に籠り候じた」と云うことだ。「昨日の午剋に、
    題を給い、今日の巳剋に披講した。天皇の御製が有った」と云うことだ。また両府
    (道長・顕光)は詩を献上した。また、談って云ったことには、「右大弁行成の
    蔵人頭を辞す表が返給された」ということだ。もしかしたらこれは、人の耳を飾る
    ものか。

このように実資は人々を誘って和歌の宴を自ら主催してたぐらいだから(致時は1首、兼澄は7or8首、
八代集にそれぞれ入集している)、もし詠歌が「不得手」だとするなら、下手の横好きかもね(^_^;)

・『紫式部日記』の研究者は紫式部を偶像視し、あらゆる批判から異常なまでに守ろうとする( ̄◇ ̄;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-11-24

・紫式部を絶対に過ちを犯さない聖女の如く描く姿勢は研究者ではなくもはや信者の観((;゚Д゚)ヒィィィ!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-12-06

・藤原道長愛人説を否定しつつ『紫式部日記』の和泉式部評を等閑視するバカチン国文学者ヾ(`◇´)ノ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-02-11

調べてて、一条朝を代表する歌人(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-08-26
として、同時代人からの評価という点では、源兼澄も挙げられててもおかしくはない気がした(^_^;)